神から人へ 「神を求め、神に祈れよ」
神と人、神と人は、その昔、地球に生命をもたらされし時、最も初めの出会いを出会いし。そのはるか昔より、共に、この地上万物、地上生命、ありとあるもの、生命、自然、森羅万象のありとある現象において、共に歩み、共に苦楽を分け合い、地上世界の完成を目指して、ただ神に導かれ、神に従いて、この幾千年、幾万年の時を、悠久の時の流れを、共に過ごしてまいりしものなり。なれば今、いよいよの完成を間近に控え、神は最期の仕上げのために、多くの苦難、多くの困難、そして最期に喜びを共に迎える魂を残さんがための、一大試練を人類に与えられんとされておられる。 なれば、人は、この困難、試練を忍び耐え、人としての最善の努力を尽くし、神の御心に適うまでに、魂を磨き、鍛えねばならぬが理(ことわり)なり。さなくば、神は、人類の多くを消し去りて、再びの初めから、別なる生命を、新たなる創造物を、この世に送り、次なる世を、元の初めより、初めさせねばならぬなり。なれば、人は、一途にその命を懸けて、神の御心に、神のご意図に応え、人としての清き魂を、高き魂を神にお見せし、神の御心を安らげ、神の御心をさらに喜ばせるよう、一途な努力を惜しむことなく、ひたすら、神に捧げ、祈るべし。拝むべし。奉るべし。 人は恐れることを要さず。おのが魂が清きものならば、何一つ恐るる事のなし。ひとえに、神に帰依し、神に委ね、全てを任せるべし。神は、その魂を、必ず、救われ、次なる世の建て直しに適う、高き能力、清き魂、強き肉体を授けられよう。今、病に苦しむ者も、今、貧困に苦しむ者も、次なる世には、甦りて、かかるこの世の苦労を忘れ、喜びと栄光に満ちた、光の世界を享受せんかな。輝く神の光を受けて、輝ける魂、輝ける身体、栄えある永劫の喜びを与えられよう。さなくば、なにゆえ、神は人を苦しめよう。人を悲しませよう。苦しめ、悲しめるが神のご真意にあらず。ただ、残す魂と、残さぬ魂を分かつための、神の裁き、神のご審判なり。耐え難きを耐え忍び、苦難を乗り越え、困難に打ち勝つ、強き心と、固き決意、そしておのが苦難の時にも、他を想い、他のために、おのが光を分け与える、心優しく、正しき神の子。真の霊行、心行、体行、怠ることなく積み重ね、神のお役にたたんと勇む、健気で、律儀な、誠の厚き、神の御心喜ばせ、神の御心奉る、謙虚で素直な、真の神の子。さなる魂をこの世に残し、次の世なるをば、立て直さん。そが神のご真意なり。 なれど、神は、救われぬ魂をも救い、消し去られる魂をも残さんと、日々願い、祈っておられる。なれば、人は、己の救いのみを急ぎ、己の魂の昇華のみを求むるのではなく、神を、多少なりとも悲しませぬよう、救われぬ魂の者をも、救い、導き、神の御心に適う魂に高める、その手伝いを願うべきなり。 なれば、人より優れ、人より秀でし、恵まれし者は、そを神に感謝申し上げるとともに、そのご恩を感謝に替えるだけでなく、神のお役に立つの気持ちを、さらに高めゆくべきなり。なれば、人から神に、返しきれぬ程に授かりしみ恵み、賜りしご恩を、今、この時、ようやくに、お返しできる、ありがたき時のお仕組みなるを、心より謙虚に受け止め、感謝報恩、真の霊行を、神に捧げ、神人一体なる気持ちを、さらに高め、さらに強く、神への思いを捧げるべし。讃えるべし。祈るべし。念じるべし。 神と人。神は人を慈しみ、人は神を讃え崇める。人は神に下座し、神は人を救い、高める。人が神に捧げる誠は、神の御心を満たし、癒して、人の幸へと返されよう。なれば、人よ、一人一人の努力を重ね、神の御心を、さらに喜ばせ、そが、人への光となりて、さらに強き光となりて、我が人類、我等が魂の全てを照らし、浄め祓うことを祈らん。目には見えねど、神の光は、清き魂、等しく照らす。音に聞こえねど、神のことばは、澄みし心の耳に届かん。書きて残さば、神のことばは、いつか人の目にも読まれん。読まれしことばは、光となりて、いつか人の心も浄めん。浄め、高めて、魂を、神のお役に立ててゆかれん。神に捧げし魂は、この世の命を絶たれし後も、神栄光の、光、賜る。神に仕えし魂は、この世を離れ、帰りても、神の恵みを、授けらる。神に使われ、神に生かさる。神に生かされ、神に捧ぐる。全て導き、神のお仕組み。全て嬉しき、真の行。神を求め、神に祈れよ。神に救われ、神に捧げよ。神の賜る霊行を、明日も行じて、魂磨け。 さにて終わらん。 神の声を伝える人ひふみともこ 著書 「神から人へ(上)」より抜粋 ひふみともこさんHP http://wa-hifumi.info/