カテゴリ:ラグピッカーより
僕は、この瞑想や、
インナーチャイルドについて書くに先駆けて、 一見脈絡もなく、 「霊的世界の諸相について」 を書き綴りました。 それは、何故かといいますと、 「瞑想」で「思い描く」ということは、 思い描いたことを、「霊的世界」に実現させる方法だからです。 自殺編~「いまのあなたが考えていることが、あなた自身である」 に書いたように、 「今、考えていることが、あなた」であって、 「霊的世界」では、 「今、考えていることが、すべて」であって、 ひっくり返して言えば、 「今、考えていること」が、 「霊的世界」を形作っているわけで、 「瞑想」して思い描くことは、 「霊的世界」ならば、 すべて実現することができるということを意味しているのです。 それは、実は、 「今」だけに、言えることではなくて、 「過去」においても同じなわけです。 とくに、 「過去」において、 「強い思い」によって刻まれた記憶は、 「霊的世界」においては、すでに、実現してしまっていて、 なんらかの形で、その記憶に折り合いをつけなければ、 その記憶は、いつまでも、 「霊的世界」あるいは「潜在意識の世界」の中で、 実現したままなのです。 そして、その記憶の領域が、 なんらかの形で傷ついていれば、 自分で自覚しないでいても、 心の奥底で、 いつも不協和音が小さな音で鳴りつづけているかのように、 なんとなく不快な感じが延々と続きます。 そして、その不快感は、 なんらかの事件をきっかけに、 病気となってあらわれたり、 なんらかの不幸の形を伴って、 あらわれたりしてきます。 その意味では、 「インナーチャイルド」とは、 子供の頃の原風景と直結する表現であり、 確かに、 人生の全般にわたって影響を及ぼす、 「コア・マテリアル」になりやすいという意味では、 「インナーチャイルド」と「コア・マテリアル」参照 確かに、「子供の頃の記憶」なのですが、 潜在意識に刻まれた記憶が、 自分の現在の生き方に影響を及ぼす、という意味では、 幼い子供の頃の記憶に限定されるものではなく、 中学や高校などの、学生時代でも、 あるいは、20歳を過ぎてからでも、 あるいは、30歳でも40歳でも、 大きな出来事はすべて、 その後の人生に影響を及ぼす、 「インナーチャイルド」を同じ意味合いを持つものとなりえます。 反対に、 瞑想によって、 自分の心が変わると、 自分に近しい人の態度が変わったりして、 自分だけでなく、 周りの環境も良くなっていったりする例も、 報告されていますが、 これなども、 「霊的世界」と「潜在意識」の関わりを示しています。 ユングは、 個人の「無意識」(潜在意識)の領域と、 他の人の「無意識」の領域が、 心の奥底で一つの大きな領域を形作っているという、 「集合的無意識」という理論を唱えました。 これなどは、 まさしく、「霊的世界」の説明そのものです。 ユングは、「霊的世界」という、目に見えない真実の世界を、 いかに常識的な現実の科学的な世界に理解させるかを、 悩みに悩んで、 「集合的無意識」という世界観を提唱したのだと、 僕には、そう思えてなりません。 「集合的無意識」の世界は、イコール「霊的世界」なのです。 各人の心の奥底では、 すべての人が密接な関係を持って結びついていて、 心の中の思いが変われば、 その思いは、 他の人の潜在意識にも影響を与えていくわけです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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