カテゴリ:ラグピッカーより
その気付きを得た翌日に、 一緒に瞑想指導を受けたMさんに、 きのう今日と、実りの多い学びがあり、 一番の問題を解決することができた喜びを話しました。 「母に叱られてばかりで、愛された記憶のない自分のこと。」 「それは、母は怖い人だと、 自分から遠さかっていたからだと気づいたこと。」 「母は、父にばかりあまえている私に嫉妬して、 つらく当たっていたのだと気づいたこと。」 「だから、母との楽しい思い出はないのでしよう…。」など。 Mさんは、母の立場で考えられて、いろいろ話されました。 その中でも、 「自分の娘に背かれて淋しい人生だったでしょうね。」 の一言が強く心に響きました。 家に帰り、寝る前に床の上に座ってから、 「憎しみがあったら、 相手の立場で考えたら“どうして”が解けますよ。」 とのアドバイスと、 Mさんの「自分の娘に背かれて淋しい人生だったのでは…」 との言葉を思い出していました。 ふと、「見たくもない」と、 タンスの中にしまい込んでいた母の写真を見たくなり、 取り出して母の顔に見入りました。 母の写真は、子供四人と写っているのですが、 私が一番似ています。(たぶん性格も似ていたと思います。) こんなに“見つめた”のは初めてです…。 そして、写真の母に話しかけました。 「私がお母さんに優しくされた覚えがないのは、 私がお母さんを避けていたからなのね。 そして、私が、お父さんにばかり甘えているのが、 お母さんの気に入らず、 少しの事で叱られていたのね。 きのう、やっとお母さんの気持ちが分かったのよ」と。 すると、今まで思い出さなかった、 私の母へ対する「みにくい心」の思い出がよみがえってきました。 私は花が大好きです。 子供の頃からそうだったみたいです。 私が野の花を摘んできて花瓶に挿してあるのを母が見て、 言いました。「まあ、きれいな花、いい匂いね。」 私の心の中「フン、お母さんのために摘んできたのではないわ。」 頼まれて洗濯をしてきた後に、母は言いました。 「まあ、きれいになったわ。石けんの匂いがいい匂い。」 私の心の中「フン、うまいことを言って、また洗わそうと思って…。」 等々、次々に思い出されてきたのです。 そして、 「私の心を傷つけて、 きびしくしたのを謝りもせず、死んでいって…。 生んでからしっかり躾もしてくれず、死んでしまって…。 私がつらい思いをするのは、お母さんのせいだ…。」 と恨んでいたのが、 実は「謝らねばいけないのは私だった」と気付いたのです。 こんなにも母の気持ちをないがしろにしていたとは…。 「ごめんなさい。お母さんの愛を受け入れなかった私を許して…。」 と、写真を見ながら心から涙して詫びました。 …今まで「きびしい母」の写真と思っていたのですが、 「やさしい母の顔」がそこにありました。 生きてそばにいる感じです。 「そんなに、ひどく傷つけていたのね…。」と言われた気がしました。 目に見えないけれど、 母の存在をすぐそばに感じ、 和解しあえたその喜びで、 しばらく「ごめんなさい。ごめんなさい。」と声に出して泣いていました。 すると、不思議なことに、 今度は“母に優しくされた記憶”が思い出されてきたのです。 一年生の時、 図工の時間に何でも良いから書くように言われたけど、 何も書けなかったことを伝えたら、 「好きなものを書いたらいいよ。 あなたは花が好きだから、それを書いたらいいよ。」 と言って、洗濯物を干していた手を休め、 スミレの花とチューリップの花を、 地面に書いて見せてくれた事を思い出しました。 うれしかったです。 ここ数十年探し求めていた、やさしい母の記憶です。 そして、次々に “母に優しくされた思い出”がよみがえってきました。 その度ごとに新しい発見のように、 幸福で私の心は満たされました。 現在、私の楽しみにしている、 草花を描くことや、縫い物をすること、 踊りやダンス、水泳など、みんな母から教わったことでした。 その一つひとつの記憶が、明確に思い出されたのです。 それが母の置きみやげであることに気づき、 「お母さんありがとう。ありがとう。 私を産んで育てて下さって、本当にありがとう。」 と私の心は感謝でいっぱいになりました。 そして、“母に愛されていなかった” という“思い”は消え去っていきました。 今では、母の写真をベッドのそばに置き、 毎日感謝の気持ちでありがとうと語りかけています。 母に愛された記億のないことが、執着になっていたのですね…。 それが、魂にくもりを作っていたのですね。 自分のあやまちに気づいて心から詫びると、 魂のくもりが取れ、 だんだん心の内の光が輝き、 回りを照らし、 暗い部分がなくなって、 心が満たされ、喜びに変わるのですね。 この喜びを多くの方々に伝えたくて、 つたない文にまとめました。 この教訓から、自分の考えよりも、 まず相手の気持ちを理解するように努めます。 そして、回りの方々の長所を見つけて、 それを認め、 愛語を努めて口にするように心がけるようにします。 「主よ、私の心の傷を癒していただき、 本当にありがとうございました。」 Tatsu1965注釈: “愛を感じる瞑想”とは、 僕が、 P.P.I.com in livedoor 」心おだやかにいきるために 前編- の中で、 「悩みを打ち明けること」 「与えられていることに感謝すること」 で書いた「内観」とほぼ同じ内容のものです。 ライブドアのHPでは、 愛を与えられたことを、 紙に書き出すという方法として紹介させていただきましたが、 ある程度、心境が進めば、 瞑想の形をとって、 自分が与えられた愛を、 一つ一つ思い出して、心に描くとよいと思います。 この母の体験のように、 一度では、うまくいかなくても、 二度、三度やっていると、 だんだん、心の奥深くに入れるようになるものです。 また、いったん、浮上したと思っても、 何度でも繰り返して行って良いものです。 繰り返すたびに、気づきも深くなることでしょう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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