カテゴリ:ラグピッカーより
辛い記憶は思い出さなくてはならないものなのか...
インナーチャイルド改訂版 のジョン・ブラッドショー氏によれば、 その答えは、「YES]です。 僕も、確かに、そう思います。 ここは、 長い長い引用になりますが、 大事なところなので、 「インナーチャイルド 本当の自分を取り戻す方法」 から引用させていただきたいと思います。 ジョン・ブラッドショー氏は、 この作業を、 オリジナルペイン・エクササイズと呼んでいます。 ---------------------------------------------------- オリジナルペイン・エクササイズは、 抑圧されている原感情を実際に感じとり、体験することです。 私はそれを、「再体験過程」と呼んでいます。 私の一人ぼっちで傷ついたインナーチャイルドは、 一度も初期の苦痛の解放をしていなかったため、 私は強迫的に行動化を繰り返していました。 アルコール依存症のプログラムに参加し、 自分のアルコール依存症を抑えました。 しかし、強迫的行動はほかの形で続いたのです。 (中略) 私がその時気づいていなかったのは、 自分の内に潜むうちひしがれた小さな男の子の孤独感と、 父や家族、自分の子供時代の喪失体験による悲哀感が、 未解決のままになっていることでした。 私は、このオリジナルペインを、 温かく抱きしめてやる必要があったのです。 これこそが、カール・ユングが言っている、 「悩むべくして悩む悩み」なのです。 「執着」と「苦しみ」について 参照 オリジナル・ペインエクササイズの中には、 自然の治癒過程が含有されています。 グリーフ(悲しむこと)は癒しの感情です。 私たちが悲しむことを許されるならば、 自然に自分を癒してゆけるのです。 グリーフ・エクササイズがなされないからこそ、 傷ついたインナーチャイルドは凍結されているのです。 仮に今でもあなたが辱められ、無視され、 あるいはかつて両親をなだめる役割をしていたという事実を合理化したり、 矮小化したりしているならば、 そのこと自体があなたの心を傷つけているという事実を受け入れる必要があります。 あなた方のうち何人かは、肉体的、性的、精神的にひどい仕打ちを受けたことでしょう。 ではなぜ、私たちは明らかな虐待を認める必要があるのでしょうか。 不思議なことに、ひどい仕打ちを受けた人ほど、 自分が悪かったと思ったり、 両親を理想化するものです。 (中略) すべての子供が両親を理想化します。 それは、子どもたちが生き抜いていく術なのです。 しかし、苦しい虐待を受けた子供が親を理想化すると、 その子どもはその虐待を受けたのは、自分のせいだと思うようになるのです。 「親がたたいたのは、自分が悪い子だからだ」 「親が自分にセックスしたのは、自分が悪い子だったからだ」 「親が自分をどなりつけたのは、言うことをきかなかったからだ」 「自分のせいであって、親は正しいのだ」と。 親の理想化は、自我防衛の核となっています。 それを捨て去る必要があります。 親自身は確かに悪かったわけではありません。 彼らも傷ついたチャイルドだったのです。 次のことを想像してみてください。 あなたの5倍もある70キログラムの体重の3歳の子どもと、 あなたの4倍もある55キログラムの体重をもつ3歳の子どもに、 育てられているあなた自身をです。 そうすると、あなたのインナーチャイルドが浮き彫りにされてきます。 両親は自分たちにできるベストを尽くして、 あなたを育てました。 しかし、それは、 3歳の子どもであった彼らの手に負えることではなかったのです。 今まで述べたことが、あなたにとってショックなことだったなら、 それは素晴らしいことです。 なぜなら、ショックは悲哀の始まりだからです。 ショックの後に抑うつがきて、否認がおこります。 否認は自我防衛を再び呼び起こします。 また、それは普通ひらきなおりのような形でおこります。 「まぁ、そんなに悪くはなかったさ。雨露はしのげたんだし」 といったりして否認しています。 私を信じてください。 それは、あなたにとって本当にひどいことだったのです。 精神的に傷つけられること、 すなわちあなたの両親が、あなたがあなたであることを禁じるのは、 あなたにおこりえる最悪のできごとなのです。 あなたが怒りをあらわにした時、 「親に向かって2度とそのような大声を出すな!」と言われたはずです。 そのようなことの積み重ねであなたは、 自分であること、怒ったりすることは、良くないことだと学びました。 恐怖や悲しみ、喜びを感じたときにも同様なことがあなたにおこったのです。 あなたがとても気持ちいいと感じたとしても、 (親や兄弟やあるいはその他の他の人が) 自分の性器を触ったりすることは良くないことだったのです。 あなたが感じることを感じたり、 思うことを思ったり、 欲しいものを欲しがったり、 想像することを想像したりすることは、 良くないことだとされてきました。 ときには、見たり、匂いをかいだりすることもダメでした。 結局、あなたは他人と違ったことをしたり、 自分自身であることをダメとされてきたのです。 私が言っていることを受け入れ、理解することは、 傷ついたインナーチャイルドの核に横たわっている心の傷を認め、 その存在を確認することなのです。 悲哀の過程で普通、次に現れる感情は怒りです。 それもまた精神的な傷に対する反応として、 当然出てくる感情です。 確かにあなたの両親は、 あなたを育てるためにできる限りのことをしたかもしれません。 しかし、オリジナルペイン・エクササイズでは、 あなたの両親の意思は関係ありません。 問題は、実際にあなたにおこったことです。 たとえば、あなたの両親が車をバックさせて道へ出ようとした時、 誤ってあなたの足をひいてしまったとしましょう。 それ以来、あなたはずっと足が不自由になりましたが、 あなた自身は、その原因を知らないとします。 あなたは、過去に自分に何が起こったか知る必要がありますか? また知ることによって傷つき苦しむ必要がありますか? この二つの質問に対する答えは、言うまでもなく「はい」です。 たとえ故意でなくてもあなたにおこったことに対して、 怒ることは当然のことです。 事実、あなたが自分のインナーチャイルドを治癒したいと思うならば、 怒るべきです。 しかし、私はここで絶叫したり叫んだりする必要があるとは言っていません。 (あなたはそうするかもしれませんが・・・) ひどいことに対して怒ることは当然だと言っているだけです。 過去に私におこったことに対して、 責任があるのは両親だとは言っていません。 二人の中に潜む傷ついたインナーチャイルドがなしうる限りの力を尽くして、 私を育てたことは知っています。 しかし、またそのことが、私たちが自分や他者に対してしていることをとめる責任は、 すべての自分たちにあるのだということです。 今後私は、自分の家族システムを牛耳っていた機能不全といじめに、 我慢することはないでしょう。 怒りの後には、心に傷がつき、悲しみがやってきます。 仮に私たちがなんらかの犠牲になっていたとするならば、 私たちはその裏切り行為に対して悲しみを表すべきです。 あるいは、今まで夢や野望になりうるはずだったものに対しても悲しむべきです。 私たちは満たされなかった発達欲求の弔い(グリーフ)をする必要があるのです。 心の傷や悲しみの後には、 しばしば自分を責めることがあります。 このことが別の形でおこっていたならば、 別のやり方があったのに、 という言い方をよくします。 つまり「もし私が父親をもっと愛し、 自分には父親が大切な人だとちゃんと伝えていたならば、 私を見捨てたりはしなかったのに」 という考えです。 私が近親相姦や肉体的にひどい仕打ちを受けた、 犠牲者たちをカウンセリングした時のことです。 彼らのほとんどが、自分におこった事件に対しては、 自分が悪く、最悪感や自責の念を抱いていました。 私たちは周りの誰かが死んだ時、嘆き悲しみ、 その人ともっと一緒にいてあげればよかった、 などと自責の念にかられることがあります。 しかし、子どもに時代に見捨てられたことをグリーフする時には、 幼い子どもには別のやり方がなかったのだということを、 十分にあなたのインナーチャイルドにわからせてあげることが大切です。 苦痛は、彼におこったことなのであって、 彼自身のことではないからです。 (私たちは)見捨てられたことによって恥ずかしさを感じるようになったのです。 自分が汚れているかのように、 悪いのは自分だと思うようになります。 その恥辱感はやがて孤独感へとつながっていきます。 インナーチャイルドは、欠乏感や欠陥があるという感覚を持つので、 真の自己を適応した偽りの自己で覆い隠さざるをえません。 そして、偽りの自己のアイデンティティを形成していきます。 真の自己は疎外され、孤立したまま置き去りにされます。 苦痛感情の最深部の鉱床にい続けることは、 グリーフ過程の最もつらい部分です。 「たった一つの方法は、そこを通り抜けること」。 私たちは治療場面で、いつもこのことを言っています。 恥と孤独レベルにとどまることはきついことです。 しかし、私たちがこの感情を温かく包み込むことによって別の面が生じてきます。 私たちはずっと隠れてきた自己に出会うことができます。 私たちが自分からの他者からも隠してきた自己を、 はっきりとみることができます。 自分の恥辱感と孤独感を温かく包み込むことは、 真の自分に触れはじめたことになるのです。 インナーチャイルド改訂版より お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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