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昨日、朝からものすごく体調が悪く、ほぼ1日中寝ていた。こんなことは久しぶりである。カラダが正直にモノを言うようになってきたのかな。
プロレスとK-1どちらが好きか、と問われれば、迷わずK-1と答えるだろう。昔から、「プロレスのどこが良いんだろう」と心の底で思っていた。シナリオがあり、先輩を立てる仕組みがあり、予定調和がある。なにかホンモノでない気がしていた。 でも最近、というか大人になるにつれて、世の中が予定調和に満ちていることに気付き始めた。シナリオ通りに役割を演じる。何か分からないけれど、ピラミッドの下に位置する人は、より上の人の思惑によって、動かされている。それが意識にのぼる場合もあれば、意識すらできないことも多い。 10数年前、ソフィーの世界というベストセラー小説があった。哲学の世界を全く知らなかった自分は、「やさしい哲学の入門書」という本のオビに惹かれ、四苦八苦しながら読み通したのを覚えている。 少女ソフィーは、自分たちを拘束している「何か」を発見し、愕然とし、その拘束を外そうと試行錯誤する。その小説を読んだとき、その仕掛けに「あきれた」ものであったが、ようやくその意味が分かってきた。 ソフィーは、その世界で最も大きな問題中毒を発見したのだ。 決まりごとや規則はここ数十年レベルのものでしかない。無意識の中でガチガチに拘束されてきた人間。拘束を外すためには、カラダさんの声を聞き、やりたいようにやらせる。その過程では意識レベルでの問題中毒の解消が必要になる。 このPQ開発の出発点、自分の中でどうも消化し切れていなかった。それは、今やっている仕事が、まさに自意識でカラダのあちこちを縛るような性質を色濃く持っているからだ。 今の僕の部署は、600人の職員が日々やっている仕事を、1つ1つ点検している。無駄なお金の使い途はないか、もっとこうしたら効率的ではないか、と、他の部署の仕事にあれこれ口を出し、あるレベルまでは、その仕事の方向性を変えていくチカラをもった立場にいる。 今の部署に異動して4年目、自分の影響できる範囲が増していくのにあわせて、何か嫌なモノを感じていた。多くの職員がそれと知らされることなく、「劇場の中で演じる役者」に仕立て上げられていること。そういう自分も、さらに大きな枠組みの中で、役割を演じる一人であるということ。「建前ではこういうことになっている」が、その裏には、プロレス的な予定調和がある社会。 昨晩、夜になって少し体調が戻ってきたので、布団から出た。テレビを見ると「映画 踊る大捜査線2」がやっている。画面では、現場の声を聞こうとせず、全てを自分で動かそうとする女性トップが追放され、それにかわって登場した室井さんが「現場の君たちの思った通りにやれ。トップへの報告は厳守。君たちを信じる。」と宣言し、事件は解決に向けて一気に加速していた。 現場をその気にさせるトップの行動、より効率的な組織のあり方を考えさせられた。 (この映画、あまりに底が浅く、初めてみたときには思わずリモコン投げそうになった。巨額の予算を使って、優秀なスタッフを集めて制作したであろうに、なぜこうなってしまったのか、と不思議に思ったものである。) 今の職場の問題中毒は、別の機会にもう少し掘り下げてみたい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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