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ここ最近、ブログから遠ざかっていた。自分で書くのも、人のブログを読むのもなんだか気が進まない、というのは今までに余り無かったことである。単に書くのが面倒、ということはあったが。
自分の心に何かよくわからないブレーキがかかっていたのであるが、その正体を発見した。それは、「カンニングの感覚に対する後ろめたさ」。 クラモトさんのブログでは度々、人の認識を鵜呑みにする事への戒めが語られている。PQ開発の原点でもある訳だが、知らず知らずのうちに、この考え方を少し窮屈に感じていた。 「自分で、発見しなければならない。」ということを厳密に考えすぎると、他人の書いた文章から学ぶことに後ろめたさを感じることがある。 PQ開発者の皆さんのブログを読んでいると、まさに自分の欲しかった「答え」がそこにあることが多い。以前読んだときには何とも思わなかった部分にもこうした「答え」を発見することもしばしばである。 新たな知識や考え方を自分に取り込もうとする上で、普通の読書の密度を軽く超えるネタが、そこかしこにあるのである。これらを見つけるたびに、それを書いた人をうらやむ気分と、答えを自分がカンニングで手に入れたような感覚が湧いてくる。 「自分の頭で答えを醸成する」前に、他人の作った純度の高い回答例を見てしまった感覚。 これでは、本質的な成長がないのではないか。 しかし、つくばさんのブログを読み、こうした考えが吹っ切れた気がした。 自分が人の書いた文章から何かを得ようとするとき、そこから様々な影響を受けることは当たり前のことであり、「他人の考え方に盲従しない・洗脳されない」ことを自覚する姿勢を持ち続けることさえ意識していれば、むしろそうした自分の変化を恐れる必要はない気がしたのである。 どれだけ濃い内容の文章に出会ったとしても、自分にそれを理解する力量が準備されていなければ、その価値を本当に理解することなど、できやしない。 (良く分からない内容の文章は、自動的に「斜め読み」している気もする。) 流れに逆らわずに、臆病にならずに。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2005.10.31 19:49:39
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