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Nielsさんの紹介されていた「99.9%は仮説」を本屋で見つけて、昨日の夜読み終えた。「白い仮説」「黒い仮説」「仮説のグラデーション(表現違ってるかも)」など、常日頃自分が考えていたことが「科学」の視点から述べられていた。
大きな驚きはなかったが、面白く読むことができた。 ・ 今日、お昼に散歩していたとき、「ああ、僕を取り巻くものは、実は全て「かりもの」なんだなあ」と思った。 図書館から持って帰ってきた本は、図書館からの借り物。 職場で使っているパソコンは、職場からの借り物。 今住んでいる家は親からの借りもの。 「借り物」を辞書で引いてみると、次のようにある。。 1 人から借りた物。「―の式服」 2 形だけ取り入れて、まだ自分のものになっていない、意見や考えなど。「―の思想」 こういういわゆる「借り物」だけじゃなくって、所有物と思っていたものや思考も含めて、全てが「かりもの」なんだなあ、と思った。 自分のものだと強く思いこんでいる土地・家のような不動産。あらゆる動産。 これらは、複雑な社会でもめ事が起きないように、所有権という概念のもと、仮に「自分のもの」と言うことになっているに過ぎない。 今着ている服は、今使っているペンは、自分の物と言うことになっているけれど。たまたま今現在、世界中のあちこちから様々な工程を経て、僕の所にやってきてくれているだけだ。でも、これらが今ここにあるって、凄いことだよな。 ちょっとアヤしくなってくるが、自分の体を構成している物質も自然からの借り物。この思考回路自体だって、借り物かもしれない。 全てはかりそめのものだ、と倉本さんが書いていた記憶があるが、そこから派生している気もするし。 「借り物」転じて「仮もの(かりのもの)」=「かりもの」。 ぼんやりとこんな事を考えた昼下がりだった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006.03.14 20:18:24
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