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PQシンカ日記

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2007.02.08
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カテゴリ:カテゴリ未分類
自分という人間は、どんな役割をもって生まれてきたんだろう、と考える。
別にスピリチュアルというわけではなくて、思春期のような感覚で。

中学生の頃、星新一のショートショートばかり読んでいた時期があったことを思い出した。
文庫本はほとんど買って、実家にある。

その中の一編に、若い男と中年の男が様々なやりとりをする話があったことを思い出した。
二人は、若い社員と中年の社長という立場で話し始めるのだけれど、二人の立場がコロコロと変わっていく話。

始め、若い社員は中年の社長に怒られているのだけれど、突然、団体職員と社長という立場に優劣が逆転した課と思ったら、次々に立場・優劣が入れ替わっていき、最後には、若い男が中年の男に、「娘さんと結婚したいんです、ねえいいでしょ、おとうさん」で終わる。

いい加減な説明なんで、何の事やら、という感じだけれど、二人以上の人間が集まると、そこには適宜、役割分担が生まれる、ということ。



人は、ある集団に属するとき、一つ、あるいは複数の役割を演じることになる。

おおざっぱに分けるなら、リーダー的な役割、調整的な役割、傍観者の役割。

よく言われる2:6:2の法則にあてはめれば、人を引っ張る役割、中間層の役割、足を引っ張る役割。



リーダー的役割をすることに慣れた人は、足を引っ張る役割の人を批判の目で見る。

足を引っ張る役回りの人が存在してくれるからこそ、自分がリーダー的役割を担えていることには、気付かずに。そして、お互いがお互いをけなし合う構図が生まれる。

成長・経験とともに、「自分はこういう役回りの人間だ」という思いこみは、自分のイメージの中で固定化してくる。

自分の人生の中で最も多くの時間を費やしている時の役回りこそが、自分自身だと思うようになる。



極端な仕事人間で、家庭はほとんど顧みることなく、出世してエライ人になったひとのことを考えてみよう。
そういう人は、自分自身をそういう役回りで固定化したくてたまらない。家庭でも、地域でも、仕事の時と同じようなエライ人としての振る舞いをしたくなる。

でも、それはかなわない。周りの見る目は冷ややかだ。そのギャップに苦しむことになり、他人を攻撃するか、自分を攻撃するかになる。

そして、家には帰らないようになる。あるいは自分の書斎にこもりきりがちになる。



もう少しバランス感覚の優れた人は、自分の役回りを、自分が関わるあらゆる集団において、上手に表現しようとする。そして、特にバランス感覚に優れていれば、誰もが認める「そういう役回りの人」になる。

自分が関わるあらゆる集団で、高度な役回りをし続ける人もいれば、逆に、どの集団でも傍観者、あるいは足を引っ張る役回りを演じ続ける人もいる。



ちょっと極端な例から入ってしまったかもしれない。

世の中の多くの人は、「役割混在型」だろう。

属する集団によって、リーダーだったり、傍観者だったり、足を引っ張る役回りをしたり、色々な役割を演じる。

そして、自分の好きな役割を生き生きと演じている時間が長ければ長いほど、人は輝きを増すのだろうと思う。



僕は、「リーダー型」の役割への憧れを、強く持ち続けて生きてきた。
そして、それがかなわないとき、コンプレックスを抱え込んだり、ストレスをため込んだりしてきた。

それが顕著に表れたのは、就職したての頃だと思う。大学4年でリーダー的役割を極め培った自尊心が、新しい「職場」という集団では、無くなってしまったからだ。



今はどうだろう。人生の様々な局面において、自分はどんな役割を演じているだろうか。

「仕事をしているときの自分」は。
「同僚と一緒にいるときの自分」は。
「妻や子と一緒にいるときの自分」は。
「親や親類と一緒にいるときの自分」は。
「友達の中にいるときの自分」は。
「地域の中にいるときの自分」は。
「ラッパを吹いているときの自分」は。
「PQ人でいるときの自分」は。

まだらだ。バラバラだ。実に色んな役割を演じている。一つの集団の中でも、刻々と変化している。

そして、自分の中には、様々な自分がいる。
10人の自分が、100人の自分がいる。
他の人も同様だろう。
その人間の複雑性にこそ、畏敬の念を持つべきではないか。
それなら、リーダー的役割に固執しなくてもいいじゃないか。

頭で決めた「こうありたい」よりも、自分のカラダがドライブする自分であり続けることで、結果として生まれてくるものを大切にすればいいんじゃないか。

そう気付いたら、いままで「この集団に属するの、なんか苦手だなー」と思ってストレスをためていたのが、馬鹿げたことだと気付いた。

それはそれ。今時点での自分という存在が生んでいる役割分担という、「その現象」を、楽しめばいい。



優等生的存在でありたかった自分。
リーダー的役割に憧れ続けた自分。
それが故に、人と関わることに臆病になった自分。
もっともっと青天井に成長したいと思った自分。
周りに認められたくて仕方がなかった自分。
カッコツケマンだった自分。
人のことを好きになることが好きなことを思い出した自分。

こういうマダラな自分が、人と関わりを持つ上で、自然発生的に生まれてくる役割分担。

あっちでは、こう。こっちでは、こう。カタにはめようとするな。

自分という存在がもっともっと深まり、多様化し、複雑化することで、社会における役割分担も、どんどん形を変え、これからの自分史を、(カッコつけて言うなら)歴史を作っていく。





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Last updated  2007.02.09 01:59:33
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