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カテゴリ:つれづれ
しつこいようだが,私は由緒正しいよそ者広島人である。しかし,初めて広島に定住したのが1989年4月,その後2年の京都暮らしと4年の東京暮らしを除いてはずっと広島に居続けているのであって,今や広島暮らしのほうが長くなっている。
広島に住むことを決めて新幹線で広島駅に降り立ち,やがて広電で今や日赤病院前と名を変えた当時の「広島大学前」に降り立ってすぐの広大東千田キャンパスの正門に着いたときには,涙が出そうになった。だから入学手続きと下宿先を決めたときのことはほとんど記憶にない。そのくらいショックだったのである。本当に,カープの本拠地であるということがなければ,そしてHOMEで「晴れ時々たかじん」がネットされていなければ,きっとやさぐれていたのかもしれない。 それでも,まあ生活しなければいけないので,近くにあったポプラだったかあるいは大学生協の書店だったかは忘れたが,すぐに広島の地図(確か「ひろしまっぷ」だったと思う)と,「広島食べ歩きの本」だけは買った。それと,柏村武昭が書いた広島グルメ本(1984年ころ発刊,題名忘れた)を持っていたので,それで寂しい心をいやしていたのである。 で,この度とある雑誌(半年くらい月遅れ)の昔ながらの広島の名店特集を眺めていたら,学生時代からずっとお世話になっている店もある一方(何のことはない,「ますゐ」だ。)その当時からお世話になっていた店が閉店になっているのを知った。時の経つのは早いうえ残酷なものである。 その店,はっきり言うならば「中国飯店」だが,とにかく盛りが多くて安かった。「ますゐ」とともに懐に優しい店のひとつだった。なんといっても,焼き飯にまでついてくるサービスライス。この店の親切の象徴だったと言っていいだろう。味はもちろんよかったのだが。その後社会人になってよく通ったのはとんかつの「歩留久」で,棒ひれカツにもロースカツにもお世話になったのだが,これはずいぶん早いうちに閉店になってしまった。 学生時代からお世話になっていたと言えば,向洋にあった「ビックラーメン」である。踏切のそばに合った小体な店で雰囲気は屋台そのものだったのだが,とにかくバイト帰りによく通った。広島では屈指のうまいラーメンだったと個人的には思うのだが,残念ながらこれも20年ほど前に閉店になってしまった。向洋駅前の再開発の絡みもあったのかもしれないが,どこかでひっそりとでもいいからやってくれてないかなと思うくらいである。 そのほかにもあると思うのだが,今でも食べたいと思うのは上記の3店になるのである。やはり記憶とははかないもの,まさに忘却とは忘れ去るものなりというのが正しいようだ。 閉店と言えば。 話は京都に飛ぶが,市役所そばにあった洋食の名店「グリル・アローン」の特大オムライスを思い出す。そして,残念ながら焼失してしまった「ほんやら洞」。そこで供されていた「シゲのパン」。これらも,今や鬼籍に入ってしまったのが残念でならない。 あのころより,今の方がきっとうまいものをたくさん食べているに違いないのだが,やはり味覚にもノスタルジィというフィルターがかかると,ずいぶん美化されてしまうものなのだろうか。 たまにはどーでもいーはなしでも。 BlogPeopleSIGMA People (告知) 姉妹サイト「ろー・ふぁーむ・かるぴおANNEX」もよろしくお願いします。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2017/12/03 09:56:05 PM
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