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カテゴリ:つれづれ
隙あらば睡魔が訪れてと書いたのはつい最近のような気がするが,それをあざ笑うかのように昨晩は横になっても全く眠れなかった。ようやく朝が明けてから数時間ばかし眠ったのであるが,そんな日の一日は,普段にもましてけだるいに決まっている。要するに今は頭がうすぼんやりとしているのであって,要するにつらい。
なぜ眠れなくなったのかは分からない。昨日の記事がそんなに頭を冴えさせるようなものとはとても思えないし,カフェインやアルコールを中途半端に摂取したわけでもない。まさにこれも一種の魔力といわざるを得ないのであるが,睡魔と違ってなぜか適切な呼び名がない。なので「逆睡魔」とでも仮称しておくが,この「逆睡魔」,睡魔と違って眠れない間は非常につらいから厄介だ。だから適切な呼び名を付けてもらえなかったに違いない,というのは故宮脇俊三翁の受け売りである。 心当たりがあるとすれば,今日起こるべき仕事に,非常に大きなインパクトのあるものが舞い込むかもしれないという読みがあったからかもしれぬ。幸か不幸かその読みは今日は外れたが,そのくらいしか思い当たる節はないのだ。もっとも,そんなに日々の仕事を真面目にやってるかといわれたら,絶対にそうではないと言える自信はあるのだが,それはさておき。 眠れなかったおかげで,昨夜はじっくりと音楽を聞いた。どうせ眠れないなら長期戦とばかりに,ブルックナーの交響曲第八番をセルジュ・チェリビダッケのミュンヒェン・フィルのライヴ盤で通して,マーラーの交響曲第九番をオットー・クレンペラーのウィーン・フィルのライヴ盤で第4楽章だけ,それぞれ聞いた。まあこういうときに英会話のオーディオブックでも聞いていれば少しは英語耳ができるのかもしれないが,「逆睡魔」がそれを許してくれないのである。 本音を言うと,こういうときは開き直って,何か軽くつまみながら本でも読むのが一番なのであるが,それは家人が許してくれないのである。なんともはや,つまらぬものだ。 と,いうわけで,今日の一冊。 教養としての政治学入門 眠れぬ夜にはうってつけである(←何という牽強付会よ)。何と言っても非常に分かりやすいし,政治を語るならこのくらいは押さえておかなければならないベースをきちんと押さえてある。通しものではないので,興味のあるところだけつまみ食いもできる。でもきっとこの本,政治部門にいる成蹊大学の不肖の卒業生に読んでほしいという思いがあるのではないかと,勝手に思っている。 すていほうむはいとあじきなし。 BlogPeopleSIGMA People お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2020/05/18 09:06:36 PM
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