ジャズ・ワルツに乗って原稿書き
今日はまたやけに寒い一日でした。午前中、雨のそぼ降る中を病院に行ってきた父は、帰宅後、開口一番「手袋を持っていけば良かった!」とのたもうていましたっけ。春は、桜が咲いた後でもたまにこういう日があるので油断できません。 さて今日の私ですが、野暮用でちょいと外出した他は一日中家に居て、のんびり本を読んだり、5月に行われるシンポジウムの原稿書きをしたりしていました。 今回のシンポジウムのテーマは「貨幣経済社会と文学」というものなんですけど、そのココロは貨幣経済社会の中で文学はその高貴性を保てるか、というところにあるらしい。 結局、「お金で買える」ということは、すべてのものの価値を平準化してしまうわけですね。たとえば1000万円で高級車が買えるように、1000万円で治る病気もある。ということは、「モノ」と「命」というまったく別の次元のものが、「1000万円」という札束で「等価」に結ばれるということですよ。貨幣経済ってのは、そうやってあらゆるものを貨幣の価値に還元してきた。 で、そうやって何でもお金で換算できる社会になると、抜け落ちるのは「高貴さ」というものではないか、というのですな。で、「文学」なんてのは、かつては「高貴な」ものと思われていたわけですが、この貨幣経済社会の中で果たしてその高貴さを保てるのか、ということが問われてくる。 もちろん見方は色々で、「高貴さなんか保てないから、今、文学よりマンガやゲームソフトなんじゃないの」という人もあれば、逆に「それでも高貴性を保ちたいと思っているからこそ、マンガやゲームソフトが文学化しているんじゃないの」という人もある。 ま、そんなことを私を含め4人のパネリストがあーだこーだ論じる、というようなものになるらしいです。本人が「らしい」なんて言ってちゃ、いかんですが。とにかく、今書いている原稿はそういう内容です。 それはさておき、何かものを書くとなるとBGMの一つも欲しくなるワタクシ。で、今回も最近買ったばかりのジャズのCDを家から持参してきたのですが、これがまたすっきりした味わいで、なかなかよろしい。 そのCDとはドン・フリードマンの『サークル・ワルツ』というもの。ドン・フリードマンというのは白人のピアニストで、系統から言えばビル・エバンス系の端正なピアノです。特にこのアルバムは、そのタイトルからも推測されるように、冒頭にワルツ曲がありまして、3拍子のジャズというのは割と少ないんですけれども、これがまたいいんです。そういえばビル・エバンスにも有名な『ワルツ・フォー・デビー』というのがありましたね。 かくして、フリードマンのワルツに乗って、さらさらと書きものをしていた今日の私だったのでした。今日も、いい日だ!これこれ!(ジャケットもビューティフルでしょ!?) ↓JAZZ THE BEST Legendary 150::サークル・ワルツ