宮崎学著『「自己啓発病」社会』を読む
昨日、日本の自己啓発思想/本に関する本について、要点をまとめましたので、今日はそのついでに宮崎学さんの書かれた『「自己啓発病」社会』という本について、自分に関係のあるところだけ抜き書きしていこうと思います。 この本は、もう随分前に読んだのですが、まあ、研究書ではないし、ああ、また自己啓発本を否定する本ね、って感じで放置していたんですわ。でも、参考になることが書いてないわけでもないので、必要なところだけピックアップしておこうかなと。では、レッツラゴー!〇いま、この国に氾濫する「自己啓発」ブームという現象に、私は大いなる違和感を懐いている。とりわけ、この現象の中心にある「差別化」なる言葉に対してである。/この言葉を私なりに解釈すると――他人と同じことをしていては競争に勝てない。だから他人と違うところが人にわかるように努力しなくてはいけない。もっとはっきり言うと、地位と財を得る競争に勝つためには他人を蹴落としてでも前に進め、というのが、この「差別化」の意味するところだ。そしてそのために「自己啓発」に励み、他人より優位に立つためのスキルを身に付けろ、というものなのである。/この考え方は完全に間違っている。「差別化」が、つまり「自由競争」が貫徹した社会が、殺人事件の50パーセントにおよぶ親族殺人を生んだのだ。/本書は、この「自己啓発」を推し進める論者たちの根底にある「論理」と「精神」の貧困を批判したものである。(4‐5)〇2000年代に日本で自己啓発ブーム到来。そのきっかけは1996年の『脳内革命』。410万部。脳内ホルモンが生き方を変えるので、それが出るように、プラス思考/ポジティヴ・シンキングで行こうという内容。(12)〇1998年、五木寛之の『大河の一滴』で、人生論ブーム。仏教的な諦観に焦点。春山の説の逆のようで、実は同じ。迂回したポジティヴ・シンキング。(13)〇2001年『チーズはどこへ行った』。300万部。〇2002年、日本通信教育連盟が「ユーキャン」に。スキルアップが合言葉。(15)〇2006年から自己啓発ブームに陰り。しかし総じて言うと、1990年代から20年間の自己啓発ブームは、バブル以降の失われた20年に符合する。〇2006年以降の新顔は、池上彰、茂木健一郎、長谷部誠、石井貴士、勝間和代。(18)特に茂木と勝間はニューフェイス。二人とも個人が自己本位に心のコントロールをうまくやれば成功と幸福をゲットできるという、自己中心的ポジティヴ人間の作り方を指南した。(21)〇1980年代のブームは、自己啓発ではなく「自己開発」と呼ばれた。(21)で、自己啓発セミナーが大流行。アメリカで60年代に流行ったエンカウンター・グループ・カウンセリングが流行した。アメリカでのそれは自己回復運動であったが、日本に来た時は利己的な潜在能力開発に変わっていた。ジャパン・アズ・ナンバーワンと言われ、調子に乗っていた頃の話。国としての全能感が個人にまで乗り移った。(22-3)〇しかし2001年以降は、そういう全能感ではなく、むしろ自分探し。プチ内観。無力感から逃れるためのもの。(26)〇小泉政権の「官を民へ」の動きも、これを背景にしている。自分でできることは自分でやれ、政府に期待するなと。そういう意味での自助が上から押し付けられた。(44)その結果、負け組が主流に。〇2011年の災害復興もそう。自助による復興が叫ばれた。しかし、その結果、むしろ地元は崩壊した。〇2003年、小泉政権はスマイルズの『自助論』を高く評価。結果、竹内均訳の抄訳が売れた。(53)〇竹内による抄訳は、成功者になるための秘訣集のようになっているが、本来この本は品行主義。(69)自助は利己ではないと言っている。(76)〇明治時代に『西国立志編』が受け入れられたのは、明治初年の「勉強立身熱」ゆえ。(91)〇漱石は『文明論集』の中の「模倣と独立」において、「成功」の捉え方を論じ、本来の『自助論』の品行主義を支持。(99)しかし、それを敢えてそう論じたということは、1913年頃にはすでに、この本が出世のための功利的な本と考えられていたことの証左であろう。〇1980年代に『自助論』が復活した背景には、英国病などの影響もあった。先進国では、個人が国家に頼るようになってしまったので、それを糺す意味があった。これに渡部昇一が反応し、自助論を持ち上げた。(104-)〇英国病からの脱出のため、サッチャーが自助論を支持、ついでレーガンが支持、結果新自由主義の価値観誕生。〇日本では中曽根がレーガンに追随し、国鉄・電電公社などの民営化が進んだ。(113)〇終身雇用制や年功序列も崩れたが、結果、日本は幸せになったかと言えば、そうではないと言わざるを得ない。失敗者は努力を怠ったとして切り捨てられる社会に。(133)〇これらは自助の精神を利己と間違って受け入れたから。互助・共助、さらには相互的自助の社会を取り戻さねば。ネオリベラリズムも、スマイルズの自助も乗り越えた、互恵社会を取り戻そう!(212ー) ・・・ってな感じ。 まあ、宮崎学ってこういう感じだよね、っていう感じの本ですね。自己啓発本批判の本なのか、小泉・竹中憎しの本なのか。 他に言いたいことがあり過ぎて、自己啓発本はほんのマクラ、という感じではありますが、ご意見として、伺っておきましょうという感じかな・・・。