2018/06/30(土)13:05
大分お寒い日本のヘミングウェイ受容
既に何度か書いているように、今年、久しぶりに文学専門の授業としてヘミングウェイの作品を学生たちと読んでおりまして、今時の英文科の学生がまるでヘミングウェイ作品を読み込めないことに愕然としておるのですが、ちょっと調べてみると、どうしてどうして、ヘミングウェイが分からないのは、何もうちの学生だけじゃないのかなと。
実際、解釈以前の問題として、ヘミングウェイの文章そのものを読み違えていることも結構ありますな。
例えば「兵士の故郷」(Soldier's Home)という作品、ヘミングウェイの作品にしては珍しく、わりと骨のある文章が前半部分に幾つかある。一つ例を挙げると、
His acquaintances, who had heard detailed accounts of German women found chained to machine-guns in the Argonne forest and who could not comprehend, or were barred by their patriotism from interest in, any German machine-gunners who were not chained, were not thrilled by his stories.
という文章。「兵士の故郷」の主人公・クレブスは、第1次大戦の激戦地で戦闘を体験した後、アメリカの故郷に戻っているのですが、他の一般の帰還兵に比べて帰還が1年ほど遅れたため、地元の帰還兵歓迎の気運も既に去り、戦争の無惨さについても既に散々論じられていたので、今更クレブスが何を語ろうと誰も聞いてくれない、そんな状況を表した文でございます。
で、上の文章なのですが、学生に読ませたって全然読めない。文法的な構文も取れないし、取れたとしても何が書いてあるかが全然分からないんですな。
まず文法的なことから言いますと、主語は「His acquainances」で、動詞(述部)は「were not thrilled (by his stories.)」ですわな。だから、「(クレブスの)知人たちは、クレブスの話を聞いてもちっとも驚かなかった」ということになる。これは簡単。後は「His acquaintances」を先行詞とする二つの関係代名詞節をどう取るか。
細かいことを言うと面倒なので、はしょって言いますと、最初の節は「アルゴンヌの森(第1次大戦の激戦地の一つ)で、機関銃に鎖でつながれた状態で発見されたドイツ女について詳しく聞かされていたので・・・(今更驚かなかった)」ってな感じですかね。
だけど、そう読めたとしても、それが何を意味するのか、学生たちにはさっぱり分からない。
つまり、「機関銃」がどういうものか、それが分かってないわけよ。ここで言う機関銃って、ランボーが持っているような奴じゃないからね。地面に固定された据置型のでっかい機関銃ですよ。持ち運べるようなものじゃない。
つまり、ドイツ軍はそういうでっかい据置型の機関銃で連合軍の反撃を防いでいたんだけど、劣勢になってきたんでしょうな。だから普通にしていたら、連合軍の猛攻に怯んで兵士が機関銃放り出して逃げちゃう。だから、逃げないようにドイツ軍は兵隊を機関銃に鎖でつないだわけよ。それも、女性兵士をですよ。それで機関銃につながれたまま、その女性兵士は連合軍の弾に当たって死んでいたんでしょう。無惨なことをするもんだ。そんな無惨でショッキングな話を散々聞かされていたから、今更、クレブスの戦争話を聞いてもちっとも驚かなかったと。
後半のもう一つの関係代名詞節ですが、これは「could not comprehend」の目的語が「any German machine-gunners who were not chained」なんだから、「鎖で(機関銃に)つながれていないドイツ兵なんて想像できない」ということですな。想像できないか、あるいは「were barred by their patriotism from interest in」ですから、愛国心に妨げられて鎖につながれてないドイツ兵に興味が持てないと。
つまり、機関銃に鎖でつながれて身動きできないまま撃ち殺された女性兵士の無残さに驚かないばかりか、「えー、だってドイツ兵なんて大抵機関銃に鎖でつながっているもんなんじゃないの?」と言われちゃうってことですよ。聞き手がそんなんじゃ、どんな戦争話をしたって、興味を持ってもらえそうもない。
ところが、この文章をちゃんと読める人ってのが少ないわけね。それは専門家でもそう。実際、この作品の既存の翻訳を見ると、「ドイツの機関銃手なんて、みんな鎖でつながれているのだということがのみこめないのか、(中略)一向ぞっとしなかった」なんて訳してある(北村太郎訳)。逆じゃん。
あと、この先にも難関がある。
Krebs acquired the nausea in regard to experience that is the result of untruth or exaggeration, and when he occasionlly met another man who had really been a soldier and they talked a few minutes in the dressing room at a dance he fell into he easy pose of the old soldier among other soldiers: that he had been badly, sickeningly frightened all the time.
という箇所。クレブスは、帰還してから戦争体験を語るのですが、先にも言ったように誰も聞いてくれない。そこで自身の体験や戦地での噂話などを潤色したり誇張して語るようになるのですが、そのために自己嫌悪に陥っていき、正義の闘いに身を投じた自身の行動に対する誇りが失われていくわけね。そういう時に、自分と同じく戦地に居た元兵士に会って話をしたりすると・・・というのがこの文で説明されている。
問題は最後の「that he had been badly, sickening ly frightened all the time」の取り方です。
これもはしょって言ってしまえば、この that節 は talked の目的語でしょう。つまり、戦争を兵隊として実体験していない一般人に対しては、誇張したり、真実でないことを語る一方、同じ戦火をくぐってきた同士に対しては、自分が戦場でいかにビビっていたかということを正直に語ったと。同じ戦争体験を、二種類の方法(=ウソと本音)で語り分けざるを得ないというところが、クレブスの悩みであるわけで。
だから、このthat節は、戦争中の体験を語ったものと取るのが正しいのだと私は思います。ところが、そうとってない人がプロにも多いんだなあ。
例えば・・・
クレッブスは嘘とか誇張の後味なるものを経験して吐き気を覚えていた。ダンス・パーティで偶然、実際にもと兵士だった男に遭い、化粧室で数分間はなしあったとき、彼は兵隊仲間としてのくつろいだポーズに落ちこんでしまったことがあった。つまり彼は、ひどく、みっともないほどに、いつもびくびくしていたのであった。(北村太郎訳)
クレブスは嘘や誇張のあとで味わう体験に吐気をおぼえた。そして舞踏会の化粧室でほんとうに兵士だったことのある男に出会い二、三分話をしていると他の兵士たちといっしょにいる昔兵士だったくつろいだ姿勢にいつのまにかなっていた。かれはいつもひどく、いやになるほどおびえていた。(宮本陽吉訳)
クレッブスは嘘や誇張のために経験させられることにうんざりしていた。そして時おり、実際に兵隊だっただれかに会ってダンス・パーティの化粧室などで二、三分話しているうちに、彼は戦争ちゅうずっとひどくびくびくしていたという、同じ復員兵同志のあいだで見られるあのくつろいだポーズを取るのだった。(高橋正雄訳)
上の三例の中では高橋正雄訳だけが、that節を戦争中のことと取っていて、その点では唯一正しいのですが、文全体としてはよく分からないものになっていると言わざるを得ない。
私だったらどう訳すか?
嘘や誇張を交えて語ってしまったために、クレブスは戦争で体験したことを考える度、吐気をおぼえるようになってしまった。そんな折、たまにダンス・ホールの手水場で戦地に居たことのある奴と偶然出くわし、しばし雑談するような機会があると、兵士が他の兵士と共に語り合う時のようなくつろいだ気分になり、戦争の間中、自分がひどく縮み上がっていたことを打ち明けたものだった。
こんな感じかなあ・・・。どう? 少なくとも上の3例よりマシじゃね?
とにかくね、ちょっと気にして調べてみると、ヘンテコな解釈が大手を振ってまかり通っていることが明らかになるわけ。そのことに気が付くと、ヘミングウェイの作品を正しく解釈している日本人って、実はおっそろしく少ないんじゃないかと思えてきます。
実際、ちらっとネット上で調べてみると、超有名なヘミングウェイの作品ですら、全然意味を取り違えている人がやたらにいるということが分かる。それはもう、驚くばかりですわ。本来の意味とはまるで逆に解釈している例もわんさとある。しかも、素人がそうするのはまだいいとして、一応は○○大学の先生、みたいな人の書いた論文ですら、トンチンカンなのばっかりなのよ。
例えば上の例で、クレブスが「吐気を覚える」という箇所があるでしょ。だけど、クレブスは海兵隊に所属していたということになっているので、船酔いには強いはずだから、嘘をついたくらいで消化不良を起し、吐気を覚えるのはおかしい。これはつまり、クレブスが海兵隊員としては失格だったということを意味しているのではないか、なんてチンプンカンプンなことを論じている「論文」まであるのよ。すごくない?
で、思うのですが、ヘミングウェイ協会は、そういう誤った受容を糺さないといかんのじゃないかと。ヘミングウェイの個々の作品が、これだけいい加減な、誤った解釈ばかりされている現状をどうにかせにゃいかんのじゃないかと。
文学作品の解釈なんて、読んだ人の数だけある、と思っている人もいるかも知れませんが、そんなことはないので、まずは正しく解釈し、その上で、それをどう考えるか(そこから先は千差万別でよろしい)という考察をスタートさせないといかんのじゃないかなあ。
ま、ヘミングウェイが専門というわけではない私にとっては他人事だけどね~。