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ringo3119

ringo3119

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2010.04.03
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【ゆるしの40日--DAY 9--】

 

キリストの十字架は、あなたのために




●精神的な痛み



十字架を抱えて歩くなんて、かなり重かっただろうに

釘で両手を打ちこまれたら、激痛だったはず

イエス・キリストの十字架の苦難について話すとき、痛みの度合いについて、「肉体的な苦痛」だけを連想してしまいがちではないでしょうか。

しかし、人として歩まれた主イエスは、あなたのゆるしのために、「精神的な痛み」をも味わったのです。

日常的にあなたが経験している精神的な痛みにはどのようなものがあるでしょうか。家族から拒絶されたり、友だちからバカにされたり、信頼している人からウソをつかれたり、裏切られたりしたなら、あなたの心は傷つき耐え切れないほど痛みで苦しんだことがあるでしょう。今、もしかしたらそのような痛みの真っ只中にあるかもしれません。


精神的な痛みの中で、一番大きい問題は「孤独」である、と言われています。日本では11年連続で自殺者が3万人を超えたというショッキングなニュースを聞いたことがあります。家庭の問題や、学校でのいじめ、健康や財政的な問題など、その原因は様々ですが、「誰もわたしを必要としていない」「わたしは誰にも愛されていない」「だれもわたしの悲しみを分かってくれない」「誰もわたしを相手にしてくれない」など、その「孤独感」は人を死に追いやるほどに人を悲しませてしまうようです。


主イエスもそのよう孤独を味わったことを聖書のイザヤ書は証しています。

彼は軽蔑され、人々に見捨てられ、多くの痛みを負い、病を知っている。彼はわたしたちに顔を隠し、わたした ちは彼を軽蔑し無視していた。(イザヤ53:3)


しゃれこうべの場所と呼ばれるゴルゴダの丘で、主イエスは十字架にかけられました。大勢の群集がそこを取り囲む中、主イエスの孤独を象徴する「3つの音」がこだました、と言われています。


一つ目の音は、十字架を木槌で打ち付ける音


二つ目の音は、主イエスの絶叫


三つ目の音は、人々の罵声でした。



十字架を打ちつける音」は、主イエスの肉体的な痛みを現しています。

同時に、人々の罵声」は、主イエスの精神的な痛みを表しているのです。

その二つの音の間に板挟みになって、主イエスは絶叫されました

つまり、精神的にも肉体的にも、あなたが人としてこの地上で体験しうる、すべての痛みを担ってくださった主イエスの、孤独の叫びだったのです。


主イエスは人々からののしられ、バカにされ、ツバを吐きかけられ、殴られました。あなたが友だちから少しでも陰口や悪口などを言われたりしたら、とても傷ついて落ち込んでしまうように、主イエスは傷ついたのです。また、あなたが信頼していた人から裏切られたり、ウソをつかれたりしたらショックを受けるとまったく同じように、主イエスは心を痛めたのです。誰かから無視をされたり、冷たい視線であざ笑われたりすれば、傷つくばかりでなく腹も立つものです。


祭司たちが、主イエスを捕らえて、死刑判決にする相談をしました。

それから、ある者はイエスに唾を吐きかけ、目隠しをしてこぶしで殴りつけ、「言い当ててみろ」と言い始めた。また、下役たちは、イエスを平手で打った。(マルコ14:65)


ヘロデに派手な服を着せられた主イエスは、ピラト官邸に連れて行かれました。

そして、イエスの着ている物をはぎ取り、赤い外套を着せ、茨で冠を編んで頭に載せ、また、右手に葦の棒を持たせて、その前にひざまずき、「ユダヤ人の王、万歳」と言って、侮辱した。また、唾を吐きかけ、葦の棒を取り上げて頭をたたき続けた。(マタイ27:27-30)


「ユダヤ人の王」と書いた札が掲げられた十字架に主イエスはかけられました。

そこを通りかかった人々は、頭を振りながらイエスをののしって、言った。「神殿を打ち倒し、三日で建てる者、神の子なら、自分を救ってみろ。そして十字架から降りて来い。」(マタイ27:39-40)



祭司長や律法学者たち、長老たちも一緒になって、主イエスを侮辱して言いました。

他人は救ったのに、自分は救えない。イスラエルの王だ。今すぐ十字架から降りるがいい。そうすれば、信じてやろう。神に頼っているが、神の御心ならば、今すぐ救ってもらえ。『わたしは神の子だ』と言っていたのだから。」(マタイ27:41-43)


主イエスと一緒に十字架にかけられていた囚人の一人も、主イエスをののしりました。

「お前はメシアではないか。自分自身と我々を救ってみろ。」(ルカ23:39)


仲間の一人だと疑われることを恐れたペトロは、呪いの言葉を口にしながら、主イエスを三度も否定しましたが、主イエスは、その光景を見つめていました
(ルカ22:61)

「あなたがたの言っているそんな人は知らない」(マルコ14:68,71)


もし、あなたが同じように周囲の人から扱われたら、どのように感じるでしょうか。「悲しい」「寂しい」「くやしい」「苦しい」「やるせない」・・・。あなたが感じるのとまったく同じように、主イエスも感じるのです。

人間の肉体的な痛みと精神的な痛みは切り離すことはできません。体の痛みは、心の痛みを深くつながっています。体が痛めば、心も痛むし、心が痛めば、体にも影響を及ぼします。悲しみのゆえに、夜眠れなくなったり、心臓がドキドキしたり、胃潰瘍になったりするように、心の痛みは体をも痛めつけます。また、体が痛めば、心も暗くなり落ち込んでしまうのです。

そのようにして主イエスは、あなたが生涯を通して体験しうる全ての精神的痛みを一つ残らずに体験されたお方です。その象徴的な姿が、十字架の苦しみを目の前にしたゲッセマネの園での祈りです。

イエスはひどく恐れてもだえ始め、彼らに言われた。「わたしは死ぬばかりに悲しいここを離れず、目を覚ましていなさい。」(マルコ14:33-34)

主イエスは、「死ぬほどに悲しい」というご自身の正直な気持ちを弟子に告白されました。弟子たちのまで、嘆きもだえ悲しむ姿を隠しませんでした。また、「ここを離れないで、一緒にいて欲しい」と、その孤独による苦しみを吐露したのです。

さらには、精神的な痛みを担ったのは、主イエスだけではありませんでした。

ヨハネ福音書 3:16が「神は、 その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」と証しています。

つまり、あなたの「ゆるし」のために、父なる神様は大きな痛みをもって御子をお遣わしになりました。


映画『パッション』のシーンの主イエスが、絶叫をして息を引取ったとき、スローモーションで一滴の大粒の水滴が落ちて、そのあと土砂降りになる場面がありました。その雨粒を最初に見た瞬間に、わたしはすぐにそれが「父なる神様が流した涙だ」と思いました。監督メル・ギブソンのその演出と表現に、とても共感したのを感動と共に思い出します。

父なる神様は「御子イエスによる十字架の犠牲」を通してあなたの「ゆるし」のための計画を立てました。

そのことを、作家のマックス・ルケードさんはこのように表現しました。「父なる神様は自ら、御子イエスの両手に、木槌で釘を打ち込んだ」と。

わたしも三人の子どもがいますが、その手に釘を打ちつけることなんて絶対にできません。しかし、父なる神様をそれをしてくださったのです。どれほど心を痛めて、その木槌で御子イエスの手に釘を打ち付けたのでしょうか。つまり、御子の痛みは、父なる神様の痛みでもあったのです。

すべては、あなたの「ゆるし」のためでした。

DAY10「主イエスのとりなしの祈り」へ続く

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※ゆるしの40日バックナンバー

DAY 1 ゆるせない苦しみ/DAY 2 クリスチャンでもゆるせない?/DAY 3 ゆるしは皆、必ず必要?/DAY 4 「ゆるし」が、どうしても必要な理由(わけ)/DAY 5 キリストの苦しみは誰のため?/DAY 6 どれほどの苦しみだったのか/DAY 7 十字架の苦しみ/DAY 8 十字架の痛み






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Last updated  2010.04.03 17:38:38



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