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カテゴリ:N論
さて・・・
起床したので本日分3つ目の日記を書こうかと思っている・・・ まずは一つ目のリンクから・・・・・ 文字数を結構書いたので日の目を見ないのは悔しい。 なので、リンクを張っておく・・・・ 1つ目の日記湧き上がる張気(ばりき) http://plaza.rakuten.co.jp/puchihametu/diary/201004060000/ ↑一つ目の日記 ギャンブルブログなのだが、まあ1~2個前の日記にギャンブルネタは記載しているので・・・・ ちょいと書く気があるうちにシリアスネタを・・・・ 他人の思考の中が覗ける機会などそうはあるものではない。 だからお付き合いいただければと思っているが・・・・ 興味がない方は今晩更新予定のギャンブルネタまでお待ちください・・・ 昨日、面白さについて思うことを記載した。 私は面白がる能力が納得できるほど高くはないが・・・ それでも面白がり続けるために生きている。 で、結局こういった結論・・・・ 自分が何のために生きているかという疑問・・・ 誰しも一度は考えたことがあるだろう。 そういったモノの解を・・・・・ 18歳のころの学生時代にぼんやりと考えながら・・・・ 10年間くらいかけてようやく自らの答えを出したわけだ。 何のためにという目的は・・・ 最終的にはそれを決める自分が設定するもの。 つまり、目的と欲求は突き詰めればイコールで結びつけることができるのではないかと思っている。 あくまでも自分がどうしたいか。 で、このどうしたいという欲求が見つからないという時期が私も何年もあったわけだが・・・ これは私が思うに・・・・ 既知のサンプル数が少なすぎること・・・ そこに原因があるのではないかと思うのだ。 すべての問題の原因は不知にあり。 そう、どうしたいという欲求の答えが見つからないというのは・・・・ 他者の生き方の種類を知らないから・・・・ 羨ましいと思えるような・・・ 腹の底からそうしたいと思える、自らの衝動を突き動かすような生き方をしている人間を知らないから・・・・ だから答えは見つからない。 当たり前だ。 答えがない中から答えを探そうとしているんだから。 見つかるはずがない。 問題でいえば1個+1個の回答を下記から選べ 1、3個 2、4個 3,5個 さて、どれを選択する? そんなイメージだ。 そりゃ・・・ どれでもいいと思うだろうし、どうでもよいと思わないだろうか? ということはだ・・・ 他者の生き方で羨ましいと思える生き方をしているような人間の種類を知らなければ・・・ 回答の幅が増えない。 だから私は自分よりも人生経験が長く、かつ自分とは異なった舞台で演じていた人間の生き方といった情報を集める読書という行為はかなり有益な行動だと思っている。 読書を通じることで、上記の解答例を・・・ 4、6個 5、7個 6、8個 と広げることができるのじゃないだろうか・・・・ そして回答の選択幅を増やし続けることで最終的に・・・・ 12、2個 正答が見つかるかもしれない。 少なくとも、昨日の言葉で言えば・・・ 普通という舞台で普通を演じている役者の演技しか見ていなければ・・・ 何か違うと思いながらも、自分自身もそこに組み込まれているため・・・・ 結局普通以外の存在を知らぬまま生きることになるのだ。 そうなったら、こんなものなんだ、それがすべてだという認識を持ちかねない。 その状況下でどうしたいの解を見つけることが可能だろうか? 井戸の中の蛙に井戸の外の世界を認識することは不可能なように・・・・ 普通の舞台で普通を演じているだけではそれ以外の世界をどこか遠い国の物語程度の認識にしかなれない。 そんな閉塞された世界で欲求の答えなど見つかるはずもないと私は思うのだ。 まあ、私自身はどうしたいを自問し続け、書籍を読んでいううちに・・・・ 今まで刷り込まれてきた・・・ 良い学校に入り、良い会社に入ってつつがなく暮らすということに大きな疑問を感じるようになったわけだ。 唯一平等で価値があるはずの時間なのに、サラリーマンとして値札を掲げればそんな価値のある時間を時給にして1~2Kで私は叩き売りをしていると・・・・ これは違うんじゃないか? そして・・・・ 何しろ・・・ 自分で面白いと思って選択したことは私の面白がりたいという欲求を満たしてくれるが・・・ 他人にやらされることは面白くないうえに・・・ 自らの命そのものである時間を安価でほいほい売り渡すようなもの・・・・・ 違うだろ、絶対・・・・ で考える・・・ 私は面白がりながら生きたい。 そのためには経済力と時間が必要。 それは不労所得という自動利益創出システムの構築が不可欠。 そのための手段は? とここでもろもろ考えるわけだ。 投資・投機による自己扶養。 自分の持ち物に自分を養わさせること。 投機4輪駆動と以前に書いたが・・・ 給与と競馬と株とFX・・・・ そしてこのNメディアを駆使することで付加価値を創出し、浪費のプロである私の浪費を上回る加速で身入りを増やせば・・・・ 私の目的は達せられると・・・ で・・・ まずは行動や決断をするための基準は目的にありき・・・・・ 自分がどうしたいかという目的を考えて・・・・ そこから選択を行う際に、自分の目的のために適っている、適っていないと線引きをしていく。 それが自己基準だと思うのだ。 徹底しているなら・・・・ 想定できるすべてのケースに、目的のためにこうするという自己基準を作ることが必要となってくるのではないかと思わされることもある。 私は誰よりも面白がりたくて・・・ 私が知らない面白いことを世界の誰かがしているんじゃないかと思うだけで・・・・ 許せない中枢が刺激される。 そのためには手段が必要で・・・ 現在における最も強い手段は経済力である。 満員電車で生気のない顔をしている他の乗客も・・・・ それほどまでに活力を奪われながらも、僅かな経済力のために眠りたいという欲求を抑え込んで仕事に向かっている。 この経済力というものの手段の強さをを端的に表している光景ではないだろうか? 拝金教の信者だと胸を張って言えるのは、この手段が最も私の目的、欲求を満たすのに必要な手段だからだ。 いつか宗教に勧誘されたら一度やってやりたい。 財布を叩きつけ、私の神はここにいると。 この神が引き起こす奇跡を超える奇跡を見せてみろと。 私の神は飛行機で私を空中に浮かべ、移動させるという奇跡を行うことができるが、その神は私を空中に浮かべ、移動させることができるのか?と。 そんな目的を持ちながら・・・・ Nメディアだと言いながらブログを書いている。 面白い情報が入ってこないとも限らないし・・・ 勝って良し、布石を打ったとしても読者数が増えればそれまた良し。 そして・・・ 幸運は他人が運ぶものという妙に納得させられた言葉を考えても・・・・ 普段接点のない人間との接点・・・・ 自分が組み込まれている普通の舞台とは違う舞台への招待状はネットを介して送られてくるかもしれない。 何より・・・・ 面白い出会いがあるかもしれないじゃないか。 誰よりも面白がりたい人間が、そういったチャンスに手を出さないのは機会の喪失だと思うのだ・・・・ 面白がりながら生きる目的の達成のための自己基準の設定をと思ってしまう。 そういえば、これまた話が変わるが・・・・ 相変わらず、自殺者が絶えないらしいが・・・ 何故、逆転に向けた勝負をする前に降りてしまうのだろうか・・・ とんでもなく薄い確率を引き当て、この世に存在しているというのに・・・・ どうせ自害するつもりなら・・・・ 借りれるだけ、金を借りまくって・・・・ G1の日に私の信じる神の御加護があるかどうかの勝負をしたっていいと思うのだが・・・・ 勝てばだいたいの問題は解決する。 経済力があれば、自害したくなるような問題のほぼすべては解決するとは思わないだろうか? 可能性があるにもかかわらず挑戦もせずに、この生という幸運を投げ捨ててしまう人の気が私には理解できない。 まあ・・・・ 私は宇宙一ツイているので・・・・・ 不運な人を理解できないだけなのかもしれないが・・・ これ自体も認識に過ぎぬのだから・・・・・ いくらでも可能性はあると思うんだよなあ・・・・ と最後は話がずれたが・・・・ 今日は大型書店にでも行って、行っちゃいけないはずのホールでも覗いてこようかと思います。 先週260万競馬で当たったのに、なぜか今財布に2万円しかなく全部使い切っている・・・ さすが私・・・ プロの浪費家は一味違う・・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2010/04/06 01:22:22 PM
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