大三島の鶴姫
しまなみ海道を進んでいくと「大三島」という島があります。大山祇神社(おおやまづみじんじゃ)という神社があり、全国的にも有名です。かつて河野氏がこの地を治めていた頃、大山祇神社の宮司の一族は陣代として戦に参加しており、1541年に大内氏が侵攻したときにも時の宮司大祝安用の一族大祝安房らが大内軍を撃退したが戦死しています。その年の10月に再度侵攻した大内氏を撃退すべく兄に代わって出陣したのが、16歳の鶴姫で、大内軍の武将を討ち取り勝利を収めています。1543年に再度の大内氏の侵攻にも全力でこれを迎え撃つが恋人の越智安成が戦死し窮地に立たされます。しかし、最後の兵力を結集し大内軍の不意を討ち、勝利を収めました。そんなわけで鶴姫は大三島のジャンヌダルクとたとえられています。その後、恋人や兄の死をはかなんで、みずからも命を絶ってしまうという悲劇の姫様でもあります。神社と宝物殿の間の道は鶴姫ロードといわれ、凛々しく美人な姫の甲冑姿の像が立っています。宝物館には、胸の膨らんでウエストが絞られた、鶴姫の珍しい女性用の甲冑が飾られています。