2004/09/22(水)10:54
Public Relations の実践とは
朝から目いっぱい勉強して、それでもスケジュールはbehind。胃痛でひっくりかえった9月第一週の痛手を取り戻すのに、いったいどのくらいかかるのかしら。考えてみたら、今までのどのセメスターよりもハードになっていることに気づく。気づかなきゃよかった。
夕方は金曜日にミーティングしたP女史との約束どおり、彼女もメンバーになっている某ローカル草の根団体のミーティングに出席。10月末に予定されている毎年恒例のイベントの打ち合わせ。運悪く?PR担当になったP女史が、思い立って私を連れて行ってくださったのである。
差し障りが出るかもしれないので詳細は省くとして、感想としては、理想的Public Relationsを実践するにあたって現場に存在する諸々の問題を思い出す大変良い機会になった。いや、皮肉ではなく、まじめに。
この3年間、現場を離れ、理想的なPRをひたすら学ぶ日々だったから、いくらケーススタディなどでは悪例を読んだとしても、それは自分が直面したことではない。プランニングにあたっても実践するにしても、外的脅威ばかりでなく内部の無理解や政治、競争などのないところで理想的なPRばかりを考えてきたのだ。しかし、それは実際の現場とは大きく違う。
戦略的・包括的、ひいては効率的PRを実践するにあたって現場で生じる最も典型的な問題は、決定権を持っている人間がPRに関して何らかの戦術アイディアがあり、それが最も効果的だと信じている場合である。もちろん、仮にも人の上に立つ人間が考えることなのだから、必ずしもその戦術が無益だというわけではない。一戦術としては有効という場合もある。
しかし、それはたいていの場合、コンセプトや戦略といった大枠のものではなく、ひとつの戦術にしかすぎない。例えば、『○○新聞社に知り合いがいるから、プレスリリースを出して書いてもらうんだ』というのが一例。小さな草の根団体などの場合は、過去にプレスリリースをうったことなどないかもしれず、それはそれで大きな一歩ではあるだろう。
けれども残念ながら、“プレスリリースの発行”は全体の中のひとつの戦術にしか過ぎず、しかもそれ一発では、また発行しただけでは効果に乏しい戦術である。チラシを作って配る、とかパンフを作って配る、広告を出すというのも同じレベルである。どれも個々の戦術としては重要な基本アイテムなのだが、その戦術の根本になるコンセプトとそれに伴う戦略に基づく包括的なプランがあってはじめて、その利点が活きるというものだ。
現場では、しばしばこの一戦術が、まるで戦略であるかのように扱われる状況が起こる。とくに決済レベルのマネジャー的立場にある人が、アイディア先行で出してきた戦術というのは惨憺たるものになりがち。そりゃそうである。プランニングの段階で、コンセプトメーキングもターゲティングもポジショニングも目標設定もしないで出てきたアイディアが、なまじボス・レベルから出てくると、部下は逆らいにくいし、アウトソーシングしている場合もPRファームの人間がクライアントの決済権をもっている人が言い出したアイディアに意見するなんて、もしそれができたらよっぽどラッキーである。
PRは、その潜在的な性質とし、誰もが何らかのアイディアを思いつきやすい。それ自体はいいことだと思う。しかしそのアイディアは大抵の場合、一戦術である。もちろんプランニングをやっている時に、ブレインストーミングのレベルで戦術アイディアが先行することもある。でもプランニングの手順としてはそのアイディアを一度横に置いておいて、ミッションの確認からゴール設定、そのための目標の明示、戦略の決定、ターゲットの設定、ポジションの確認、といった一連のステップを踏まなければならない。そして具体的な戦術になるのだが、このプランニングの過程で、もし最初に思いついた戦術がそのPRプロジェクトの目標の達成や戦術にマッチしないのなら、そのアイディアをいさぎよくあきらめることが大切なのだと思う。
イベント全体の仕切りを今回担当されている男性(仮にJさん)の話を聞きながら、そんな諸々の現実社会でのPR実践の難しさを再認識していた。P女史の手前もあるし、この件に関して直接のボスはP女史になるそうなので、部外者の私はミーティングでは黙って聞いていた。なんと言ってもこの団体、メンバーの大半が60代から80代の皆様という組織である。Jさんも何年も前に現役を引退されたおじいさまである。P女史は私が何かその場でアイディアを出すことを期待されていたかもしれないが、いろんな意味でそれは得策ではないと思い、ニコニコだんまりを決め込む。
帰宅してから2時間で企画メモを書きP女史に送っておく。ミッション設定から戦術案まで書いたが、フォーマルなものを書く余力も気力も時間もないので、2pのメモ。これを送ったところでP女史への義理は果たした気分。Jさんがこれを気に入ろうと気に入るまいと、正直なところどちらでもいい。私にとっては、こうしてメモレベルでも活きたお題で企画を考える機会を与えていただいただけで、いい経験をさせてもらったと思うのだ。