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私が保母になろうと閃いたのは
大学4年生の初夏で 保育とは全く関係のない専攻だったし 何故なりたいと思ったのかは自分でも全然わからない。 もう本当に何となく、保育園で働く人になろうと思ったのだ。 敢えていえばその頃の自分がまだ子供で 小説よりも童話が好きだったし 子供の世界に触れていたかっただけかもしれない。 保育の仕事の魅力を知ったのは働きながらジワジワとで、 初めは言葉にできるような動機はなかったけれど 何か惹きつけられるものがあったとしかいいようがない。 大学で、保母さんになろうと思っているという話をしていたら 奇遇なことに、私と同じことを考えていたという後輩が現れ 二人で盛り上がりながら どうしたら保母さんになれるか調べてみたら 国家試験で資格が取れることがわかったのだけど その時点でその年の試験の申込みに間に合うところが唯一北海道のみだった。 更に奇遇なことには彼女の実家が札幌というではないか。 締切が分刻みで迫っていたので 二人で願書を出しに郵便局まで走っていき 受付時間に滑り込みセーフで間に合ったのだった。 今思えば行き当たりばったり感満載なスタートだったけど それが今に繋がっていることを思うと感慨深い。 彼女の実家にお世話になりながら試験を受け その帰りに一人旅をして財布を紛失し や○ざさんの豪邸にお世話になった話は昔ここに書いた。 その後その彼女は保母さんにはならなかったので 私を導いてくれるために一時的に その気になってくれたような気もしないではない。 今は亡き父には 「保母なんかにさせるために大学へやったんじゃない」と嘆かれたけど 亡くなる少し前に入院していた時、私の給料を知り 「結構もらっているんだな」と ようやく私の仕事を認めるような感じになった。 そしてある日病院で新聞を読んでいた父は 保母が保育士に名称変更になるというニュースを ちょっと嬉しそうに教えてくれたのだった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021.05.30 13:07:46
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