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やりたい気持ちになったことを
ともかく自分でやってみて うまくいったり失敗したりしながら できるようになったことは 本当に身になるもので 子どもたちがそういう経験をたくさん積めると いいなと思っています。 それは体の使い方や友達とのぶつかり合いでも 同じことで 小さな怪我をたくさん経験することで 致命的な怪我をしにくい身のこなしが身につくし 時には感情を抑え切れなくて 体でぶつかり合うことがあったとしても 喧嘩したときの痛みを味わっていれば 成長したのちに 腹が立ったからといって いきなり相手を刺してしまおうなんて気は そうそうは起きなくなるのではないか と思うのです。 別に暴力がよいと思っているわけではないけれど 生身の体で自然に覚える加減の大事さが 今の時代には なくなってきているのかもなあと思えることが 多々あるのも事実で。 保育園に於いては 親のもとに無傷で返すことが 何より推奨されていたりして。 そして怪我の中でもよりランクが下がるのが 子ども同士につけられた 噛みつきや引っ掻きなどの傷。 (保育士が子どもを傷つけるとかはこここでは論外として省きます) 被害者が女の子で顔の傷だと尚悪く 話がこじれ 加害者の子どもの親を相手に 裁判沙汰になることも、時にあるらしい。 だから保育士としては そうならないように 細心の注意を払わずにはいられないし それでも傷つけてしまう子どもを 制止しきれなかった場合は 保育士自身の不注意として 事の経緯と施した処置(または施そうとしている処置) について子どもの保護者に対し 状況説明と謝罪をし 更には「事故簿」なる代物に 事細かく その時の状況や原因 傷の処置、保護者への対応とその反応 今後同様の事故を起こさないための改善策etcを 書いて提出せねばなりません。 なのででき得る限り怪我がないよう目を光らせ 神経をフル活動せざるを得ないわけなのですが 本心を言えば 小さな怪我なら恐れずに冒険させてあげたいし 喧嘩だってもちろん放置はしないまでも ある程度のところまでは見守って 当事者及び周囲にいた子どもたちが その経験から純粋に 感じたり考えたりすることを妨げないように 大人の介入の度合いにこそ むしろ神経を使いたいと思ったりもするのです。 だからといって どんな考え方をとるにせよ 何より命を預かっているということの重みは 絶対的なこととしてはずせないものなので 保育側の心労が減るわけでもありません。 ・・・でもどうなんだろう? 親の立場としての本心は。 もちろん お迎えに行ったら傷だらけだった なんてことがあれば 親としては 不安になるのも十分予想がつくことではあるけれど 子供が日常の大半を過ごし その幼さ故からより本音でぶつかり合うことが可能な 保育園という絶好の子供集団の中で 子どもが小さな怪我や喧嘩から 学べるであろう豊かな経験を最小限に封じ込めてしまうことを、 子どもの成長を一番に望んでいる筈の多くの親は 本当に望んでいるのだろうか? と、一抹の疑問もあるわけなのです。(個人的に) それとも保育園という場をそこまで信頼できない だけなのかもしれないとも思ったり。。。。 う~ん、やはりそこなんですかね? どうなんでしょうか? と、新米(同然の)いち保育士としては いろいろ考えてしまう次第なのです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2016.05.01 15:35:44
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