2003年 コンサートの記録2003年の記録 スズランさんは谷村新司さんのファンです。 2003年のコンサートのレポートを残しときます。 この年は3回もコンサートに行ったようです。 4月24日 谷村新司コンサートin 倉敷 スズラン記す 最初の二曲歌った後一回目のハプニングがありました。 しきりにイヤホンを振ってたから??と思ったら壊れたの。 係りの方が取り替えてる時背中から腰に繋がってるから、 (擽ったそうに、背中って感じんですよね)て可愛い谷村さんでしたよ。 そして又歌になってMCに入りギターを下ろそうとしたら、 係りの方が焦ってたのかイヤホンのコードをギターのベルトまでくぐらせてて、 又も背中をもそもそ触られて背中をクネクネしてました。 「いい日旅立ち」で客席に下りてこられたのは、 昨年私が居たほうで又反対になってしまった。 握手しながらかなり通路に近くなった時又もハプニングが! 突然谷村さんが消えたんです。 遠くの方に握手してあげてて斜めになったのと引っ張られたので、 バランスを崩されて転んでしまわれたんです。 それをきっかけに舞台へ戻られてしまったんです。 それがなければ昨年みたいに後ろの席の方にも握手に行かれたと思います。 舞台に戻った谷村さんは自分がバランスを崩したと言ってした。 アンコール今回は「サライ」で、それと共に銀の紙吹雪が照明に照らされて、 本当に宝石が落ちてるみたいで一瞬目ばたきも忘れてしまいました。 いつか会場ごとに紙吹雪が減るから増やさないといけないと聞いてた。 体験して納得してしまいました(^_^;) 少しで良いからこの宝石記念に頂いて帰りたいと思ったら、 私の心従姉妹には筒抜けで何にも言ってないのに宝石を拾ってくれました。 そして全員立たれてのお別れになり、 同じ車椅子の方が淋しそうに見えなくなったねって私に言いました。 いつもの事だけど、あの瞬間本当に淋しいです。 その方はそのまま出られてしまたの。 カーテンコールを2度してくれて一瞬見ることができました。 赤くされた目は見えなかったけど、 きっといい形で帰って来るからと言ってくれました。 雨が降ってたので見送りが出来ないかと出たらほとんど止んでて、 友達と従姉妹に無理を言って出てこられるのを待ってました。 待ってると小雨が降ったり止んだりしてました。 待ったかいがあって3メートルの距離の所で見えました。 他の方が待ってる所とは違うところで待ってたの。 私がお疲れ様ありがとうと言ったら、にっこり笑って手を上げて口パクでありがとうって言ってくれました。 赤のTシャツにジーンズ姿でした。 明るくは無かったけど谷村さんの目はまだ充血してました。 友達が携帯で谷村さんの写真を写してくれたんです。 フラッシュが無いので谷村さんには迷惑かけてないと思うけど、 暗くて写りが悪く谷村さんと分かるのは失礼だけど、おでこの艶なの(笑) 言うまでもなく歌は感動できたしMCは面白く楽しかったよ。 私谷村さんがいつも言ってる「夢は夢にあらず」←言葉が好きです。 夢は自分が諦めないで思い続けていれば必ず叶う。 私もそう思って何にでもトライして夢を叶えてきたよ。 病気も完全に治るのは難しいかもしれないけど、 心の健康と何か夢を持ってると24時間の価値が変わると思うの。 まあこんな所かな長くなってゴメンね。 5月26日 谷村新司コンサート in 高梁 スズラン 倉敷とは違った宝石心を胸一杯に積めさせていただきました。 照明も倉敷とは違いまた新鮮さを感じました。 照明で谷村さんも歌も雰囲気が凄く変わるのを見て再度感動しました。 何時の頃からか谷村さんも照明も滲んでしまいました。 コーラスの宮下さんて言う方もりっぱに歌手で食べていける、 いい声で素敵なんです。 今回その方がタオルを頭に載せタンバリンを持ち、 「狙い撃ち」を突然歌うパフォーマンスがありとっても楽しかったです。 谷村さんのMCも何度聞いても楽しいし、 違う話が次々で玉手箱みたいです・ 今回谷村さんが話されてる時何方か大きな声で何か言われて、 谷村さんが話を中断して耳を澄ませて聞いて下さったのに、 肝心な時には言われませんでした。 同じ方かどうかは分かりませんが二度もあったのはファンとして残念でした。 そしてスタンディングもぱらついてたし自分の席でして欲しいと思いました。 谷村さんを見たい気持ちは見みんな同じです。 ルールを守っているファンの方や谷村さんに失礼だと思いました。 田舎でコンサートに慣れてない方が多々いたので仕方ないのかな~! 谷村さんには暫く会えないぶん今回2度も会えたし、 谷村さんから宝石心と共に出会いと言う宝石も沢山頂きました。 日を追うことに心が熱くなってます。 この気持ちを心の奥にしっかり詰め込んで大切にしたいと思いました。 私秀樹のコンサートもかなり行ったし、 谷村さんが今回で5回!今回ほど抵抗なく会場で話しかけられたことも、 自分から話しかけた事はありませんでした。 ネットでいつも見てる性だと思うけどネットって本当にすごいですね。 会場へ沢山谷村さんのポスターが張ってあったので、 係りの方に頂けないですかってお願いしたんですけど、 あれはボール箱に入れててコンサートが終わって欲しい方が早い者勝ちで持って帰れるんです。 って断られました。出る時は危ないからと車椅子はいつも後から出してくれるんで完全に諦めていたんです。 ロビーに出たら又始まる前に話してた人に会えて、 何年か後まで宝石心を胸に収め再開を約束しました。 とっても笑顔の素敵な優しい方でした。 別れた後もう一人私の方へ走ってきてくれダッシュしてきましたと筒をくれたんです。 開演前に少しお話はしてたんですが名前もお聞きする間もなくて、 筒を頂いた時もあまりにも突然で名前聞きそびれたんです。 そう私が係りの方にお願いしてたのを聞いてて、 ポスターをゲットして来てくれたんです。 翌日HPで名前が分かりお礼が言えました。 ファンクラブの方でした。凄く感激してしまいました。 PCを使ってて本当に良かったと思うしネットのすごさを感じました。 2003年11月 谷村新司コンサート in 大阪フェスティバルホール 行く時は雨が降ってて駅へ行くまではかなり降ってたのに車椅子に乗りか乗る時は、ほとんど上がり大阪へ着いたら晴れました。 チェリーさんのおかげで初めて新幹線へ乗れ新大坂から汽車にも乗れました。 予約してたので案内してくれる人がいて車掌さんとバトンタッチで世話をしてくれたので、チェリーさんに少し楽してもらえました。 精神的にはかなり私に気を使ってくれてたと思います。 神戸の友達も心配して新大阪まで出迎えに来てくれました。 千秋楽を見させてもらい感動と幸せを感じながら7月の時の感動も重なり、 一曲一曲色んな事を思い出しながら一緒に歌わせてもらってたら、 胸一杯になりライトも谷村さんが何重にも重なってウルウルになってしまいました。 アンコールで24時間TVのテーマ曲となった『サライ』を銀の紙吹雪の中で歌ってくれ、その後カーテンコールが3回ありました。 そして昨日心のこもったメッセージの言葉をHPに書いてくれたのを読み始めたら、 メッセージでまたウルウルで字が何重にも重なり熱いものがこみ上げてきてしばらく読めなくなりました。 →メッセージの一部です 『会場に来てくれた全ての人に、そして来れなかった全ての人に心の底からの(ありがとう)の言葉を贈ります。 今この文章を読んでくれている貴方に、、、 心ない書き込みをする人には寂しさや辛さや孤独感我あるんでしょうね、、、 でもそんな書き込みで心が晴れますか? 他人の幸せを自分の事のように思える強さが理解できますか? この掲示板は心の療養所です。 いつでも来て下さい、、、少しずつでも心が癒されるなら。 言葉は自由です、 でもその自由とは相手に対する思いやりがあって初めて相手の心に届くの、、、、じゃないかな? 誰かに対してありがとうって書いてごらん、それだけで心は豊かになると思うよ。 この掲示板はどんなことがあっても閉じません! ここを必要と思っていてくれる人がいる限りいつでも両手を広げて微笑んでますから、、、、。』 どれだけファン一人一人の事を思ってくださっているか良く分かります。 谷村さんを通じてお友達ができ沢山の幸せと元気をもらいました。 ありがとうって言葉はとっても重みがあり暖かくて幸せになれる言葉ですね。 何年待たないと会えるか分からないけど歌とともに待ちたいと思ってます。 |