カテゴリ:日本史年表
建永二年 丁卯 西暦1207年。10月25日、承元と改元。 土御門天皇朝、後鳥羽院政。将軍源実朝、執権北条義時の治世。 二月、法然は讃岐国、親鸞は越後国へ配流された。 三月、幕府は北条時房に命じて武蔵国荒野を開墾させた。 四月、九条兼実(59歳)、死去。 六月、幕府は、和泉・紀伊2ヶ国の守護職を停め、その権限を院の計らいとした。紀伊国の土民等が高野山へ乱入し狩猟を企て寺領を押妨したのは和泉・紀伊国守護代が専らその帳本だというのである。和泉・紀伊両国の守護は佐原十郎左衛門尉義連(建久7(1196)年11月7日任~建仁3(1203)年5月まで)であったが、卒去の後いまだその替を補任されていなかった(卒年については諸説あり)。 七月、畿内、大風雨。 十月廿五日、承元と改元。 (製作中)
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Last updated
2024/06/05 07:14:56 AM
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