和同開珎と富本銭
和同開珎は、708年8月29日(和銅元年8月10日)に日本で鋳造・発行された貨幣。続日本紀にその記載があるので、情報が細かい。秩父市の和銅遺跡から産出の銅を使っていたらしい。富本銭は、683年(天武天皇12年)頃に作られた貨幣。「1694年(元禄7年)発行の『和漢古今寳泉図鑑』に「富夲銭」として登場し、1798年(寛政10年)に刊行された古銭目録『和漢古今泉貨鑑』に、「富本七星銭」として図柄付きで載っており、昔から貨幣研究家の間では知られていた。」とWikipediaに記載があることから、学校の歴史の授業では習ってないけど、江戸時代から知られていたらしい。更に、それより前から、無文銀銭が流通していたらしい。日本書紀の巻第二十四の天武天皇の記事に、「天武天皇十二年夏四月壬申(4月15日)詔曰 自今以後 必用銅銭 莫用銀銭 四月乙亥(4月18日)詔曰 用銀莫止」と、銀銭の使用を禁止し、今からは銅銭を使うように、と詔が出ていることが記録されている。つまり、銀銭があった、ということ。紀元前221年に中国を統一した秦の功績に、貨幣の統一、がある。富本銭の約900年前には中国全土での流通貨幣があったということ。漢や魏に朝貢していた倭の小国は、返礼品として貨幣をもらっていた可能性も高い。日本に伝わっているのは確実だろうし、真似する技術がなかっただけだろう。歴史の情報は発掘などでいろんな発見があって、小中学生の時の知識が古くなっていたり、誤っていたりする事がある。しっかりアップデートせねば。