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では、今日の「世見」と「日記」です。 照の日記 今日は <2012.1.5> 今日は大安です。 交通課のお巡りさんが凄い事を発見したそうです。 「大安」って、事故が不思議と起きにくいそうです。反対に仏滅って事故が多いとか。 お仕事をされていて気が付いたのですって。 だからと云ってスピードの出し過ぎや飲酒運転は駄目ですよ! 世 見 江戸城無血開城 <2012.1.5> 今日からお仕事の方も多いと思います。 この一年があなた様にとって良い思い出がいっぱい心に残られる事を、心からお祈り申し上げます。 さて、今日はどの様なお話を書かせて頂きましょうかと申し上げても、自分でも不思議なのです。毎日こうして書ける事が奇妙と云いますか、次から次へと書けています。きっと不思議な世界のお力だとは思ってはいるのですが、時折自分が自分でないような錯覚さえするくらいなのです。勿論、書くテーマなど原稿用紙に向かっていても、こうして書き始めても、自分でも分かりません。 それゆえか、心の何処かで書く事を楽しんでいる所があります。 あぁ、今「日本史」なる字が原稿用紙を横切りました。 「幕末の三舟」って、どんな舟なのだろう。 ええ、人の名前ですって!でも本名ではない気がします。ここで鉛筆が止まった。 やっぱり頭の何処かで、舟が引っ掛かっているようです。 鉄に泥に海ですって。よけいに分からなくなって来ました。 「鉄舟・泥舟・海舟」 やっと見えて来ました。 海舟が勝海舟、では鉄舟は山岡鉄舟、では泥舟は、アァ出て来ない。 でも、先に進みましょう。 あの時代、日本中には未来の国を考える人達がいました。 江戸城の無血開城にしてもそうです。人々の生き方には、その人の信念も見える。 西郷吉之助しかり、山岡鉄舟も大役を担った。 もしも、あの1868年3月14日、江戸城無血開城が成されていなければ、徳川慶喜は英国に亡命をし、いずれ我国との戦が起きていたかもしれません。 慶応4年と云う年は、実に劇的な幕を開けた年だったと思います。 あの時代を走り抜けた人々の気を、私は今の我国に不思議な世界の方々の力で呼び返して欲しいと願わずにはおれません。 以上です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2012.01.05 00:36:40
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