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日記 楽しみ 2021年5月20日(木曜日) 私の楽しみ事と言えば、大好きな音楽を聴くことと、こうして原稿を書くことです。 大好きな音楽も、真田ナオキさんのおかげで演歌と歌謡曲がプラスされました。 人生っていつ何が起きるかわかりません。 今日も朝から大好きな曲を、ご近所さんに迷惑をかけない程度にボリュームを上げて聴いています。 今日もいい一日になりそうです。 世見 斉藤道三 2021年5月20日(木曜日) 斎藤道三といえば「美濃の蝮」と言われた人物です。 娘婿は織田信長。 道三の晩年は、嫡男の義龍を疎み、その弟達を溺愛したと言われています。 義龍は、次期当主の座が危ういと思ったことから謀反を起こし、道三は長良川の戦いで敗死してしまいます。 父を殺して二代目の座を奪い取った義龍でしたが、織田信長の攻撃を受け、勢力を拡大することは出来ませんでした。 息子の龍興が三代目当主になるのですが、家臣達から見限られてしまい、織田信長からは美濃を追われてしまいます。 龍興は三好氏や朝倉氏と組んで抵抗を続けたのですが、旧臣の氏家直昌に討たれてしまいました。 斎藤道三の辞世の句は 「捨ててだに この世の句は なき物いづくかひの すみかなりけむ」 息子の斎藤義龍の辞世の句は 「三十余歳 守護人夫 刹那一句 佛祖不傳」 私は、義龍の書いた辞世の句の意味を読み解くことは出来ませんが、辞世の句というのはどことなくもの悲しく感じます。 斎藤道三は一代で美濃を奪ったと言われて来たのですが、父と二代の国盗りだったと思ったりもします。 斎藤利政の時代と、斎藤道三になってからの時代と、どちらの方が生きやすかったのだろうか。 名前というものには不可思議な力があります。 斎藤利政と名乗っていた頃の道三。 道三になってからの人生。 まさか我子に殺されるとは思わなかったことでしょう。 道三がもう少し生きていたら、斎藤家の物語も違っていたかもしれません。
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Last updated
2021.05.20 00:56:50
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