テーマ:写真俳句ブログ(37708)
カテゴリ:瘋癲老仁妄詩
❤ ゚゚・。・゚♥゚・。・゚ ❤ 瘋癲老仁妄詩 ❤ ゚・。・゚♥゚・。・゚゚ ❤
★ パチンと、 ランキングにご協力くださいね。 ★ ありがとうございます。 ❤ 瘋癲老仁妄詩012-01zrr2901 ――♪♥♪―――――――――――――♪♥♪―― 愛呼追って辿り着きたる蝉の穴 ――♪♥♪―――――――――――――♪♥♪―― 愛呼は仙女だから、気紛れにどこにでも出没します。 人の姿をしていることも滅多にあることではないのです。花を観て愛呼を感じることも、蝶と遊んで愛呼を感じることもあるんです。愛呼に巡り逢うのも逢いたいと念じる者の念じる力次第です。 愛呼を愛し、逢いたいと念い、逢いに来いと念じればいつだって愛呼は会いに来てくれるんです。 よく観れば愛呼遊泳草の花 仁 花に語れば花に現る ぼくは19歳の老仁に戻って愛呼を呼んだので、愛呼も18歳の少女になって現れました。 ぼくの経験からすると、50歳の分別盛りの老仁になって愛呼を呼んでもなかなか現れてくれませんし、現れても愛呼もまた分別くさい愛呼になっている場合が多く、分別が障害になって念じているほど自遊になれません。 50歳の良寛さんが愛呼を呼んだら愛呼は自在な仙女のままに現れるのだろうなぁと思ったものです。50歳の良寛さんも70歳の良寛さんも同じ心根で生きているのでしょうね。 良寛さんは命の自然を生きることのできた人だったんだと感じました。 命の自然を生きていれば命の自然のままの愛呼に巡り会うことができるということでしょうか・・・ ぼくが19歳の老仁として愛呼に会うと愛呼も16歳の少女として現れてくれますから、うぶ心を精一杯楽しむことができます。 時空を忘れて逍遙することができるんです。 それでも、ぼくのなかにもっと愛呼と親密になりたいという思いが湧いてくると、自遊さを失って、無心じゃなく計りごとを考えるようになるので、愛呼はふいっとどこかへ立ち去ってしまいます。 その愛呼を追って山路に入りました。 少し疲れたので木下闇の座り心地の好いところで一休みしました。周りには蝉の穴がいっぱい開いています。 しばらくの間ぼくは微睡んでいたようです。 万緑や命湧き出すままに在れ 仁 命に老病なかるを遊ぶ ★ 愛呼飛翔012-02 ――▼△▼―――――――――――――――▼△▼―― よく観れば愛呼遊泳草の花 ――▼△▼―――――――――――――――▼△▼―― ★ パチンと、 ランキングにご協力くださいね。 ★ ありがとうございます。 ❤ ゚゚゚。・♥・。。。♣。。。 ❤ 青柳仁リンク ❤ 。。。♣。。。・♥・。゚゚゚ ❤ ★★★ 遊行相聞歌575交心03v11『 いのちあるかぎりの命草の花 』vr1701 へどうぞ!!! ★★★ ★★★ 回想瘋癲老仁妄句29-05zck0305『 返り花愛はいつでも共に在る 』 へどうぞ!!! ★★★ ♪♪♪ http://mixi.jp/view_diary.pl?id=533523460&owner_id=4521611 ❤ 。。。・♥・。゚゚ ❤ そのまんま575で交心 ❤ ゚゚。・♥・。。。 ❤ ★ パチンと、 ランキングにご協力くださいね。 俳句・短歌ランキング ★ ありがとうございます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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2021.05.17 11:51:36
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