カテゴリ:歴史・本など・・
X(旧ツィッター)のほうで、今年の大河ドラマ「光る君へ」の立烏帽子が、透け透けだということが話題になっていました。 ですが、絵巻物などの烏帽子の業弦を見ても黒いし。透ける要素はないように思っていましたが、これは、そもそも、大河の「平清盛」の時に、デザインされたものであるとのことが、明らかにされていました。黒い長い烏帽子が並ぶと、「重い」のでいっそ透き通らせてはどうか・・?というデザイナーのアイデアだそうです。 でも、実はですね、明治以降に描かれた日本画家による歴史画には多少、透ける烏帽子があるのですね。 それは、江戸時代からの浮世絵や、あるいは復古大和絵などの画家が、近代になって西洋絵画をまなび、改めて日本画を描き始めた時に、テーマとして歴史画を沢山描いている。 これが、時代考証を、当時としてはできるだけ「科学的」に行ったものでもあり、また、幕末からの復古大和絵系統の者も加味して、なかなか麗しい日本画による歴史画が描かれたのですね。 その中に、実は「透ける烏帽子」が出てくるのです。 菊池契月(燈籠大臣) これは水野年方(忠信) 下村観山(継信最期) 水野年方(岩清水) これらはだいたい、明治30年以降の頃に描かれています。 西洋画を学習し、日本画に平板なものを払拭しようとして、リアルよりになったのでしょうね。 幕末以来の復古大和絵などの系列では、絵巻物に忠実なので、烏帽子は真っ黒ですが、より自然な感覚に近づけたいというので、羅で作ったとされる烏帽子のリアルさの表現かも。 現実には当時の烏帽子は、ガチガチに漆で固めた短いものでしたし。 で現実的には、烏帽子はどんなものだったのか? 烏帽子の断片は中世の遺跡から出ています。 侍烏帽子の一部。 秋田県横手市 立烏帽子が完形で出ましたね。 平塚市坪ノ内遺跡 この他、鎌倉時代の烏帽子は断片で30例位あるようですが、墓の中から、頭部で出たものがあるそうです(岡山の鹿田遺跡)。烏帽子を被ったまま葬られたのでしょうね。病床て出家したりすれば、きちんと剃髪せず、髪の一部を切っただけでも、僧侶として葬られるので烏帽子はないかもとか思うので、急死? でも、やはり絵巻物で見るように、あまり透けるようには思えないほど、何度も漆を塗り重ねて作っているようです。 ただ、現代は暑さもあってか、透ける烏帽子もあるようですが・・・・。 絵巻物に忠実な烏帽子の描き方をする画家もいますが。 小堀鞆音(竹生島) こちらもよろしく お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024.02.03 15:22:12
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