|
テーマ:最近観た映画。(40134)
カテゴリ:SFアクション
『プレデター(1987)』は、『エイリアン(1979)』がヒットしたことから生まれた映画だと思う。日本でいえば、『ゴジラ(1954)』が大当たりしたからその後に『ラドン(1956)』などがつくられたのと同じ状況だ。 『プレデター』と『エイリアン』が決定的にちがうのは、緊迫感でしょう。 『エイリアン』は、宇宙船という閉ざされた空間で「完全生物」凶暴無比で狡猾なエイリアンが襲ってきた。逃げ場がない。 一方の『プレデター』では、ジャングルで、たまたまアメリカの特殊部隊とプレデターが遭遇してしまって一戦を交える。そして、最後に生き残ったアーノルド・シュワルツェネッガー扮するアラン・ダッチ・シェイファー少佐が、果敢に一騎討ちを挑む。 この場合、場所がジャングルだから、アメリカ特殊部隊は、逃げちゃうという選択肢も想定できたのではないか。シェイファー少佐も、単身プレデターに立ち向かっていくことをせず、一旦退却して援軍を連れて戻ってくることも可能だったんじゃないかと思ってしまう。 『エイリアン』の密室空間、逃げられないという状況設定はじつに効果的だった。だから、それに続く『プレデター』では、隙を感じてしまったのだ。似たような宇宙モンスターだけど、逃げようと思えば逃げられるのに、なんで逃げないのか。 では、今回の『プレデターズ』はどうか。 傭兵ロイスたちは、目覚めるとジャングルにいた。なんとそこは、他の天体。地球ではなかったのだ。集められた集団は、プレデターの狩りの獲物として連れてこられたのだった。 ジャングルといえども地球以外の惑星なのだから、どこに逃げたらいいのか。そして、今回はたまたま遭遇したのではなく、狩りの獲物として連れてこられたのだから、確実にプレデターが襲ってくる。 けれど、今回は逃げる方法がないために、ロイスたちはどうやって助かるのか見通しがもてなかった。 つまり、例えプレデターを倒したとしても、どうやって地球に帰るのか心配になっちゃった。 この映画の時代設定ははっきりしない。現代なのか未来なのか。でも、地球以外に酸素があって、植物が繁茂する惑星って、太陽系にはない。そこを行き来するのは大変なことだ。もし、プレデターの宇宙船を奪ったとしても、操縦技術や惑星間航行の方法など、ヘリコプターを飛ばすのとはちがうでしょう。 それについては、映画の中で弱小な種族のプレデターとロイスたちが共闘し、そいつに宇宙船を動かしてもらう方向で進んだ。でも、コミュニケーションはどうするの。宇宙モンスター(人?)がお互いに理解し合うのは、一筋縄ではいかないでしょう。結局、その弱小プレデターも殺されてしまう。 あえて結末は書きませんが、『プレデターズ』のこの閉塞感は、機械文明化やネットワーク化、グローバル化、成果主義等に包囲されて、どこにも逃げ場のない現代社会の象徴かと思った。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
August 11, 2010 06:37:36 AM
コメント(0) | コメントを書く
[SFアクション] カテゴリの最新記事
|