カテゴリ:アメリカの生活・慣習*日本のソレ
アメリカにいる頃、私は殆どテレビを見なかった。 最初の1年はアパートで日本人4人の共同生活。途中から1人抜けた状態だったので実質的には3人での生活だったが、他の2人はビデオやテレビ番組を見るのが好き。よって、彼女達がTVをつけている時にリビングにいれば何となく一緒に見てはいた。 2年目はホストマザーと2人での生活。この時も、やはりホストマザーがリビングでTVをつけている時に自分もリビングにいれば一緒に見る程度。 そして、3年目。独り暮らしを始める。と、同時に、ぱったりTVをつけなくなった。 アメリカ人とのやり取りは仕事場でしか無いのだから、敢えて自分で努力しければ、自然に英語が上達するチャンスなど私には無かった。本来なら、テレビ番組を見ることは、情報量も豊富で一番手軽な英語学習ソースになり得る筈。でも、生来のぐうたらで「努力」「根性」等々の言葉をその辞書に持ち合わせ無いこの私。だったら活用しなくっちゃ!と思うよりも、 「帰って来てまで、ワケワカラン英語番組なんか見たくな~い!」 という思考の方が先に働いてしまう。 だって… 意識を集中させて聞いていないと、英語はあっという間にただの音の羅列になってしまうんだもの。。。ああ、今日も一日疲れたな~…なーんて、ちょっとボー…っとしていたら、あっという間に内容を見失っていて、そうなったらもう面白くない、という図式になってしまう。相手のある会話と違って、一方的に耳に入ってくる場合、その理解度は極端に落ちてしまい、きっと私なんて20%の理解力も持ち合わせていない気がする。 そうして、見ないことが習慣になってしまうと、もう何があろうと簡単には興味の対象にならない。そんな私は、ナ、ナ、ナント、地元の長野県で行われた長野オリンピックさえも一度も見なかったのだ…。 でも、日本人の友達の多くはアメリカのコメディ・ドラマやソープオペラを楽しんでいた。私もそういうところから切欠を作って入っていけば良かったのかもしれないが、どうもダメ。最初はケーブルTVを引いていなかったので、 「これは、見られるチャンネルが少なくて面白くないからだ」 な~んて考えてケーブルを引いてみたけど、月々$30チョットを一年くらい払い続けた割には、その間でTVをつけた回数なんて片手で余るくらい。 私のこの、楽な方へ楽な方へ行きたがりな性分は一生治らないのかも…。何かの拍子にツボにハマると、そのことに関してはやけに熱心になれたりするのだが、そういう切欠を見つけることが下手なのと、思うにどうやら、あらゆる面において感性がニブいのも多分に影響しているんだろうなと自己分析する今日この頃である。 さて、テレビと言えば… 帰国してからの生活で、それまでと一変したことは沢山あるが、やはりテレビを見る時間が長くなったこともその一つ。意識を集中させなくても、たとえ画面に背を向けていても、内容が100%理解出来ることってやっぱり大きい。 ドラマやバラエティは言わずもがな、最近ではニュースもよく見る。若い頃はさほど興味を持てなかったものだが、これも年の功?だろうか。やはり人間、自分の人生と真剣に向き合う機会が多くなると、世の中の動向も自ずと興味が出てくるものなのかもしれない。 それにしても、最近は本当にびっくりするようなニュースばかりだ。 日本の安全神話の崩壊を痛感せざるを得ないような猟奇的な事件の頻発、欧米並みに自由競争が活発化して大変な恩恵がもたらされている反面、その歪を感じざるを得ない様な、己の利益を追求する余り他の事に盲目になってしまった挙句の大騒動の数々…日本は一体、どうなっちゃうの?と、不安になる。 そうそう、政治についても色々と気になるのだが… 先回の選挙での与党の圧勝がよほど根強い感情の縺れを残しているのか、何かにつけて野党側が与党を貶めようとしているみたいだけれど、何だか本質を見失ってないかな?と思ってしまう。どこの党を支持する云々以前に、相手のスキャンダルにつけ込むことばかりに必死になっている様に映ってしまい、そのエネルギーをもっと有益なコトに回してくれ無いかな?と思えて仕方が無い。 言葉が十分理解出来て、起こっていることの内容も全て把握できると、「知らぬが仏」で済まされないことが多くなり、動揺も増えたり、自分の考えや気持ちと相容れない事象がやけに気になったりしてしまうという弊害もあるようだ。 とはいえ、言葉の壁によって情報量が少なくなるのはやっぱり不利。少なくとも、私の人生の中で2番目に長く過ごした国の言葉くらい、もう少しレベルが高くなって、せめて耳に入ってくる音の80%程度は正確な情報として理解出来るようになりたいものである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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