宇宙レストラン

2022/02/06(日)10:38

因果応報の神{2}

ファンタジー物語(204)

他人や家族を傷つけ過ぎた人であっても幸せに生きている。 これは本当ではありますが、 因果応報説はなかなか無くなることも無ければ 異を唱える人も多くは存在しないと思います。 言葉は違えど世界中でその仕組みは人々の心に刻み込まれていると思います。 何故なのか? まぁ単純に宇宙の仕組みですからね。 少なからずその感覚は宇宙に存在している全てのものに ほんの少しであっても刻まれているのだと思います。 それに今までも因果応報が全くなかったわけではありません。 微量の因果応報からは誰しもが逃げ切れませんので、 その体験から因果応報説がこの世から無くならなかったのだと思います。 もちろん微量なので因果応報と呼んでよいのか分かりませんけども・・・。 また因果応報は神がいるのだと信じることにも繋がっています。 因果応報によって神はいるのだと思う方は想像以上に多くいると思います。 でも、所詮は微量ですし自分を苦しめた人が自分よりも幸せに生きているのを見て この世に神はいないのだとなっても然りです。 因果応報は誰かが手を下すわけでもなければ、 ましてや神が手を下すわけでもない。 自分で学び自分自身で成長していくという素晴らしい仕組みです。 ですが、この世は偽神が多く存在したせいで因果応報は消えてなくなりつつありました。 宇宙の仕組みを完全に壊して因果応報を拒否することが可能となったのです。 それどころか因果応報のカルマを他人に擦り付ける事さえも可能な仕組みを編み出していたのです。 この世では人間は死んだら神となれるのです。 肉体がないだけでそれ以外は何でも出来てしまうのですからね。 恨みつらみで死んで死んでも死にきれずさまよう霊などかわいいものです。 やりたいだけやって人を傷つけながらも幸せに生きてきて反省の欠片もなく死んでいった 人間が死んで神としての力を得た時に考える事は説明するまでもありませんよね。 本来は因果応報の仕組みの一つとして米に生まれ変わるって事も組み込まれていました。 他人の力となる経験はどんな形であれ必要なのです。 ちなみにですよ。 イエスの星に限らずだとは思いますが、 地球よりも進化した星の住民が地球に生を受ける際に 輝く米として地上に投げ入れられているとしたらどうでしょうか? 米として生まれた彼らを食べて生き抜く力を得ていたとしたらどうでしょうか? 人間は頭にヘルメット耳にはコンクリート目には何重もの色眼鏡がはめ込まれているのです。 そんな彼らに話して理解させることなど不可能です。 ならばどうしたらよいのか? 栄養のある食物となって助ける事がベストだったのでしょう。 無償の愛を持つ彼らは地球を助ける為であればなんでも行うのです。 米に限らずではあるのだと思いますが、 人間が米に生まれ変わる事がとんでもなくおかしい事では無いのだと ご理解して頂けますでしょうか? 美しく降る光の粒(米) その光景が見える方もいるのではないでしょうか? イエスも光の粒から始まっている・・。 かもしれません。                       椿♪ 椿日記 しつこいようですがファンタジーです。 なんか宗教チックな内容かなって悩みます。 でも文才が無いごめんね。 けして宗教ではございません。 椿の夢の中で見続けていただけのお話しです。 特に意味はございませんが、最近の朝食は米にしております。 ブログを書くと疲れるのですが、書く前にパンよりご飯を食べたほうが体力が続くので。 朝のご飯食は家族の中で椿1人だけです(笑) みんなパン好き実は椿もねっ にほんブログ村 精神世界ランキング ☆お問い合わせはこちらまで earthone2014@yahoo.co.jp 

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