「歴史戦争」を斬り返す ~ 渡部昇一『歴史の授業』から 2
上からの続き■5.「支那事変を日本が始めたとは東京裁判でも認めなかった」 日本が中国を侵略した、というのも、中国の仕掛ける主要な歴史戦争の一手だが、これについても単純明快な斬り返しが可能だ。__________ あの日本を裁くための東京裁判ですらも、開戦責任が日本にあるとは言わなかったのです。 これは判りきった話で、昭和12年7月7日の盧溝橋事件でも向こうから撃ってきて、話がついて、話がついたら、また向こうから撃ってきて、というような事を何度か繰り返しまして、結局、日本軍に向こうの地方の軍の一番上の人が正式に謝っていますよ。 それから、8月13日にいきなり上海で戦争が起こりました。これは中国には珍しく、当時の蒋介石の虎の子の飛行機が出てきて、爆弾を落としているのですよ。 日本の船に爆弾を落としたんですが、当たらなかった。上海の百貨店やホテルに当たって、後に日本への大使となったライシャワーさんのお兄さんも、その時に死んでいるんですよ。どこから見ても、100%、向こうの攻撃であることは皆、認めている。 ですから、「支那事変を日本が始めたなんてことは、東京裁判でも認めなかった」と断言すれば、よろしい。[Disk3-2,14:05] ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ 開戦責任が中国にあるならば、その後、中国大陸に広がった支那事変も日本の侵略とは言えない。__________ 戦争を起こしたら、戦争の論理で動くんです。アメリカだって、日本を爆撃したのを非難されたら、「ハワイを攻撃したから戦争が始まった。戦争の責任はお前だ」と言うに決まってますよ。 支那人にも同じ事を言ったらどうですか。「支那事変は支那を戦場にしたけど、始めたのは手前たちだぞ。侵略なんかと言うな」と。[Disk2-1,16:24] ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄■6.マッカーサー証言「日本がこの前の戦争に入ったのは、主として自衛のためであった」 こうして東京裁判では、支那事変の開戦責任を日本に押しつけることはできず、逆に原爆投下の犯罪性を問われるなど、支離滅裂の結果となった。__________ マッカーサーは東京裁判をずっと見ていて、これは無理だな、という事を悟ったんですよ。特に朝鮮戦争が起こりますとね。それで朝鮮戦争の途中に、ウェーキ島でトルーマン(大統領)と会いましてね、「東京裁判はやるべきではなかった」と。これはちゃんと(記録に)残っていますし、産経の『正論』に出た事があります。 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ この時、マッカーサーは朝鮮戦争に勝てないことに腹が立っていた、という。日本軍を押しまくったアメリカ軍の力はすごかったが、それを考えると、なぜ朝鮮半島で、こんなにモタモタしているのか、当時、大学2年生だった渡部氏も不思議に思ったという。 これは後で判ったことだが、マッカーサーに勝たせないという策謀がワシントンで決められていた、という。港の船を沈めたり、橋を爆撃すれば、北からの攻撃を止めるのは簡単だったが、それをマッカーサーは禁じられた。マッカーサーは、それなら原爆を使わせてくれ、と言って、トルーマンに罷免された。 弊誌441号「中国をスターリンに献上した男」[c]でも紹介したが、当時、米国の上層部ではソ連のシンパが暗躍していたのである。__________ だから、私は、マッカーサーが呼び戻されて、上院の軍事外交委員会でアジアの情勢を語る時は、国に腹を立てていたと思うのです。だから、こんな事を言ったのですね。「我々は日本を犯罪国家として決めつけた。戦争中、日本を悪魔のように思って戦った。本当はそうではない。自分は日本を統治して、よく知っている。」だから、東條さんが(東京裁判で)言ったようなことを引用して、"Their purpose in going to war was", 「彼らの戦争に入った目的は」、"largely dictated by security", 「主として自衛のためであった」と言っているのですよ。[Disk3-2, 29:10] ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ このマッカーサー証言は「日本が侵略戦争をした」という史観に対して、最大の斬り返しになる事実である。■7.「ああ、日本のマスコミもひどいなあ」「これを日本は使ったことがないのですよ。日本の外務省もマスコミも」と渡部氏は批判する。秘密文書でもなんでもない、「ニューヨーク・タイムズ」に出た記事なのに。__________ 外務省もマスコミも、これを手に入れなかったはずはない。朝日新聞の縮刷版を見ますと、マッカーサーの証言はみな載っています。ただ、私が今、引用した所は抜けているのですよ。[Disk3-2, 31:00] ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ この証言の翌年4月には占領が終わっているので、マッカーサー証言を自由に報道することはできたのに、それをしなかった。__________ 昭和27(1952)年に、朝日新聞がそれを出してくれていたら、、、「この国のかくも卑しくなりたれば捧げし人のただに惜しまる」という、愛する夫を「お国のために」と捧げた未亡人がいた。それが「日本の方が悪かった」と言われて、「ただに惜しまる」と。それはある未亡人ですけれども、自分の息子を失った母親も、自分の兄弟を失った弟、妹、そういう人たちも、みな「ただに惜しまる」と。昭和27年なら、だいたいの人は生きていましたよ。それを考えると、「ああ、日本のマスコミもひどいなあ」と思うんです。[Disk3-2, 31:50] ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ この先人の無念を思いやる心は、「我々の子孫にそんな思いをさせては、いかんのですよ」という氏の一念に通じている。■8.「我々は論ずれば必ず勝てるんです」 このマッカーサー証言を斬り返しに使って、アメリカ人に歴史の真実を説き続けていくべき、と氏は説く。__________ アメリカから変えないと歴史戦争は勝てない。幸いに、この頃はアメリカの方でルーズベルトが戦争を仕組んだということが元大統領の言葉とか、一流の歴史家からポツポツ出始めました。もう少し時間が経てば、アメリカの知識階級から「この前の戦争は、日本だけが悪い、と言ってはいかんな」という話になると思うのです。 それが、日本の歴史戦争に勝つ一番の確実な道ですからね。習近平がなんと言おうと、朴槿恵がなんと言おうと、我々は論ずれば必ず勝てるんです。・・・ マッカーサー証言は、その転換の一番の基本になるものです。日本を侵略国と決めた東京裁判を行ったマッカーサー自身が公の場でそれを否定したということ。「日本の戦争は自衛戦だった」ということは、日本人すべての人が暗記して、もしも日本の悪口を言う奴がいたら、それを引用できるような状況にしておくべきじゃないか、と考えている次第です。[Disk3-2, 33:50] ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄「我々の子孫にそんな思いをさせては、いかんのですよ」という老碩学の真心を一人でも多くの日本国民が共有して、歴史戦争を一緒に戦っていくべきだろう。(文責:伊勢雅臣)