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テーマ:バンドマンの語り場(1275)
カテゴリ:生活
つい先日も、仕事で自分の昔使っていた機材を使った。
「学生の頃は音楽をやっていた」という言葉をよく聞くが、実際にそうなった。 ライブハウス巡業を月2回、多い時は週1と行っていたのだった、よく金が続いたもんだ・・ 詳細は今も不明。 バンドを離れてずいぶんたつが、周りの人と違うのは、毎日音楽を聞く仕事場であること。 全てが好きな曲という訳ではないが、あまりこういう仕事の人はいないと思うぞ。 いろいろなジャンルを聞くようになってから、昔以上にロックを聞くようになった。 以前、ブッキングバンドがポップスであろうが「ロックンロール」と叫び批判をかった 適当な頃とは違い、今はもっとロックが好きになった。 ・まじめなポップス バンドを初めて2年目、高校も2年生頃になるとコピーばかりではツマラナイという事になり、 オリジナルを作る事となった。 自分はピアノをやっていた事もあり、キーボードをやってくれと依頼されたが、 気がつけば自分中心の編成になっていた、そうだ、使えない人々は切り捨ての弱肉強食時代だ。 最初、確かエックスのコピーをやらされていた。 しかし、格好は誰一人エックスではなかったし、なによりもドラムがいない。 こんなバンドは、はやいところ方向性をかえたほうがいいのだ、このバンド?を乗っ取るのに2ヶ月はかからなかった。 きちんとこのジャンルも1年半は続けた。 ・テクノ再来 昔からのテクノポップスといえばYMO、あの音は個人的にも好きであったし、テクノの走りだと思う。 で、そこから数年経って中学生の頃、世間はテクノといえばジュリアナテクノが思い浮かんだ頃だ、当時は中学生。 近所のお兄さんのハイラックスサーフは、いつも大音響で「XXX Is Dead」が流れていた。 僕も負けじと、粗大ごみ捨て場にあったエレクトーンよりウーファ-を抽出し、やはり捨ててあったアンプを使い、ものすごい音の出る部屋を作った。 翌日には近所より差出人不明の手紙が投函されて散った。 そんなこんなだったが、97年頃は石野卓球やアンダーグラウンドなテクノが流行っていた。 昔のポップスぽさとは違い、ひたすらコアな部分が注目されていた。 音を出すことが好きな自分はライブハウスで流せば思いっきり盛り上がれると思い、 高価なサンプラーを無理矢理購入し、テクノ一色となった。 この頃は、週2で都内某所をうろつくようになり、目がいっている人をよくみかけた。 今も言われるが、「僕はやってません」 いつからか早い曲はかっこいいなんて身内の風潮にながされ、BPMは200を突破。 超マニアックなハードコアテクノを作る。 知合いのクラブさんで曲を流してもらったりと、一番盛り上がれた。 ジュリアナのサンプリング+藤井フミヤ Vs ヒトミを作ったのもこの頃。 そのうち、Youtubeへアップしてみよう(笑) ・で今度 まだ当時の仲間内がバンド活動を行っている。 ちゃんとドラムもいればベース/ギターもいる。 思い浮かんだのが、数曲をこの方々に演奏していただき、僕が歌うという暴挙。 なんとなく原案もできているので、そのうちできたらいいな。 超音痴な自分が歌えば客もびびるね。 昔みたいに、客席にブロックを投げたりはしないのでご安心を。 バンドの名前、、これが一番悩む。 フランスかぶれという事で=フレンチ フレンチだけだとさみしいから、 フレンチポップ でも、絶対にフレンチポップすはやらない、ロックで行くのだ。 フランスといえばエマニエル夫人。。 そして、俺等は男だからBOYS 全てを合体させると 「フレンチポップスバンド・エマニエルボーイ」 そして、脅威のハイスピードロック。 考えるだけで超かっこいい・・名前 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007.11.26 00:11:54
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