震災から10年
東日本大震災の時は、会社でデスクワーク中でした。突然、携帯アラームが鳴り、その数秒後少しの揺れから、長い時間続く激しい揺れになりました。事務所内から一斉に外に避難しました。外を見るとちょうど新幹線が通り過ぎるところでした。(緊急停車途中だったようです)一時揺れが収まって、事務所の中に入りました。事務所の中は、天井が一部落下して、棚からは本が落ちて散乱し、机の上の書類も落下し、引き出しは飛び出していました。震源が気になり、テレビをつけました。速報が出ていました。津波注意報でした。最高震度は7でした。事務所の中での事故やケガは有りませんでした。関係部署の安否確認をしたくても、携帯も固定電話も繋がらない、メールが通信手段でした。自宅の両親が心配でしたが、いかんとも出来ませんでした。仕事が道路や建物関係なので、インフラ復旧に昼夜を問わず、対応する事になりました。自分は夜8時過ぎに残った人に交代し、いったん業務を終了し、帰宅の途についたのですが、車で20分で帰れるところを、道路の陥没や、橋の段差等で、通れず、3時間かかりました。コンビニで、残っていたおにぎりと、カップ麺、水を買って帰ったことを思い出します。自宅は、TVや家具が倒れ、食器が散乱し、足の踏み場の内状況でしたが、家族は全員無事でケガもありませんでした。その他としては屋根の瓦が落下して周りに砕けていました。片付けが終わって、寝たのは2時過ぎでした。余震の有る中、なんとなく寝た感じで、6時に出発。数日間は、被災状況の調査と報告、応急処置で追われました。燃料が調達できず、移動が制限される中、ガソリンスタンドに並んで、燃料を買いに行きました。水と電気はなんとか供給されていましたので、トイレ等は苦労しませんでしたが、夜間の作業者へ供給する食事の提供には参りました。コンビニは食料は無く、棚は空っぽでした。飲食店に掛け合って、水の出る所に、おにぎりを作って欲しい依頼をしました。水と白いおにぎりを作業者に届ける事が、インフラ復旧に大きく役に立ちました。自宅は、風呂に井戸水をくみ上げて、沸かす事を初めてやりました。水道が止まっていたため。その時困ったことを、忘れずに、書き留めておくことが、今後の災害対応に繋がると思います。風評被害で、燃料が届かなかった事は本当に残念なことでした。自分たちも、避難するかこのまま残って仕事するか、判断に苦しみましたが、残る判断は結果良かったと思っています。震災で亡くなった方のご冥福を祈り、「コロナで負けでらんに」と最悪のシナリオにならなかった今だから言えることですが。今では少しの揺れでは、焦らない用になりました。だけど携帯の非常アラームは嫌です。