祖父永眠 84歳 &祖父の経過と坊ちゃん
皆様、ご無沙汰しております。5月28日に祖父が入院して以来、全く余裕もなく…更新が滞っていました。そんな中、何度もブログへ足を運んで頂いたり、心配して頂きメッセージまで頂きまして本当にありがとうございました。祖父は、2011年9月20日(火曜日)午前10時45分 に享年84歳で他界しました。病名は、急性心膜炎 とARDS です。経過としまして、5月28日の朝祖父が胸が痛くてつらいとの事で母に電話が入ったんです。いつも通っているお医者様で、血液検査等をしたら心筋梗塞の気があるかな~、位で心臓に強いとされている別の病院で精密検査を受けることになったんです。そこで、ウイルス性の急性心膜炎と結果が出ました。何より驚いたのは、医者曰く血液検査の結果にでた炎症度合いを示す数値が異常に高く、本来なら危篤か死んでいてもおかしくない数値だという事でした。祖父はこの時、自分で歩きしゃべって診察受けてたので、先生が信じられない!!驚かれていました(^^:)なので、即入院&集中治療室にて絶対安静になりました。ただ、この病気は先生はきっぱりと「治ります」とおっしゃってたんです。そして、入院してからはだんだん炎症度合いを示す数値も順調に下がって来ていたのですが、6月2日頃異変が起こりました!呼吸が急に苦しくなってきたんです。すると、せっかく下がってきていた炎症の数値があがってたのと、肺全体にスリガラス状のモヤがかかってきたんです。これが、ARDSです。重症患者の15~20%の割合で発症するようです。死亡率も40%と高く、高齢者なのでリスクもあがり実際のところ五分五分ですと言われました。それと同時に、ウイルス性の間質性肺炎を併発?!この間質性肺炎は、原因が特定出来ない事が多い難病なのですが、祖父は運良くウイルス性の間質性肺炎と診断されました。最初は、マスクの呼吸器をつけてましたが、それではどうしようもなく苦しかった様で人工呼吸器をつけました。ただ、この時は気管切開はしなくて済んだんです。治療としては、ステロイドパルス療法と抗生物質の投与で様子見。それと、輸血も1度してました。そして、運良く治療が効きARDSも間質性肺炎も治り、人工呼吸器も1週間もしないうちに外れ、普通の酸素マスクにかわり少し会話も出来る様になり、先生から「後3週間もすれば退院出来そうですね」と言って貰えたんです。最初の心膜炎も完治してるし、肺のモヤも消えて後は誤嚥をしない食事の訓練をしていく方向で…、って話してた矢先、また呼吸困難に(><)今度は、またまたARDSと原因不明の間質性肺炎…(==)今度も、五分五分と言われ今回は気管切開をした人工呼吸になりました。ずっと、痰が多く吸引するには気管切開した方がラクなんですって。そして、また同じ治療法で様子見が始まりました。人工呼吸器を装着している間は、点滴で栄養補給になるのですが医者からショッキングな言葉が!!「栄養が身になっていない…」、と…。病状回復には、体の全身状態の向上が必須条件。これでは、衰弱していくばかり。ただ、奇跡的に原因不明の間質性肺炎は治りましたが、最初に併発したARDSの肺損傷が激しかったらしく、肺の機能が2,3割した機能していないと言われました。案の定、その後はある程度まではいい方向に向かうのですが、それ以上は良くならず人工呼吸器ははずせない状態になりました。栄養が身にならない&一定以上良くならないという状態は、終末期(病気が完治することはなく余命が限られる)なんです。そして、3度目の呼吸困難?!お盆の1週間前でした。医者からは、抗生物質を投入しますが効かなければお盆までもつかどうか…。親族を、2,3日のうちに集めてください、と宣告されました。人工呼吸器をしている時は、麻酔もされているので祖父はうつらうつら夢の中で意識はありません。そして、この時は運良く抗生物質が効き、意識不明の危篤状態から脱し、自力呼吸も戻り麻酔も少量に出来る程になり、意識も回復したんです。しかし、医者からは8月いっぱいもつかどうかの状態と言われました。肺もかなり硬くなっていしまい、肝機能も低下、だんだんと多臓器不全の症状と心不全の症状が出てきました。肺水腫・足や腕の異常なむくみ・爪が紫色になったり手足が冷たくなる、等です。そして、余命宣告された8月を生き抜き9月に突入。もう、9月に入ってからは日々悪化です。だんだん、血圧が低い日が増えてきたり、頻脈になったり、心拍数が以上に増えたり、呼吸数が増えたり呼吸が浅くなったりしました。そして、9月17日の夜中の3時30分頃電話がなり、血圧が異常に下がり呼吸数が異常に増えて危険な状態です…と。でも、みんなが駆け付けるとじぃちゃんの血圧が徐々に上がり始めたんです。看護婦曰く、「この状態で凄いわ~、ご家族の方が見えると違うわね~」って。先生曰く、「心拍数と脈拍がガーッと早くなっても、フッと戻るという事は、まだ本人が頑張っている証拠なんです。」って。そして、数日小康状態が続き19日の夜19時30分頃電話が!!「喉からの出血が止まらず、このまま出血が止まらないと非常に危険なので来てください」と。先生に、肺からの出血ですか?って聞くと奥の方からは出血してない様だから、粘膜だと思います…って。でも、みんなが駆け付けるとまた奇跡的に出血が止まった?!看護婦さんが、また同じことを言って驚いてました(笑)私は、坊ちゃんがいるので病院には泊まらなかったのですが、一応小康状態が続いたので祖母や両親は朝の7時頃に家に帰ったんです?!しかし、その時はやってきました…。20日の午前10時00分頃電話が鳴り、脈の感覚がだんだん長くなってきてるので急いで来て下さい、と。しかし、ちょっとゴタゴタが重なり到着が11時過ぎになってしまい、祖父の死に目には会えませんでした。呼吸してたのが急に「ポッ」と止まったと聞きました。その時間は、9月20日の午前10時45分でした。この日は、お彼岸初日でした。お彼岸(春・秋)・お盆に亡くなった人は、天寿を全うし寿命だった人・徳があり、極楽浄土へ迷わず必ず行けると言われるんだそうです。更に、台風前日だったので風雨が凄いのなんのって(><)じぃちゃんの涙雨は、ひときわ激しかったです。そして、22日は友引だったので1日葬儀をずらし(21日台風で凄かったし)、22日にお通夜・23日に告別式になりました。22日は、13時30分から湯棺&納棺があり、この時にじぃちゃんへのお手紙と写真を私は入れてもらいました。足元から胸へお水もかけました。18時からが、お通夜でした。なんとも美しい秋晴れの1日でした。23日は、10時から告別式で最後のお別れをしました。最後、棺にお花を入れる時じぃちゃんのオデコに触れたのですが、なんか氷よりも冷たかった…。芯から冷えるってああなんだ…血液が流れないってああなんだ…、と衝撃も受けました。11時30分に、火葬。最後に顔を見て本当のお別れ…。待っている間、私・坊ちゃん・祖母・母が無性に喉が渇いたんです。やっぱり、焼かれてるじぃちゃんが喉が渇いたって伝えてたのかな…。そして、2時間後に収骨。これまた立派で太い、骨っ?!そりゃ、速足でスタコラサッサと歩けるはずだわ…と思いました。喉仏と言われる、第二頸椎も綺麗に残ってくれたので、お墓に納める骨壷の方に納めました。その後は、精進落としと初七日法要をし、遺骨と共にじぃちゃんの家へ帰宅。やっと、念願の自宅だね。姿形が変わっちゃったけど、なんとなくホッした。通夜・告別式を通して、祖父の死を受け入れ心がなんだか穏やかになった気がしました。そりゃ、今でも思い出して泣きます。でも、モヤモヤとはしてない気がします。祖母には、祖父の分も長生きしてもらえるよう頑張っていきたいと思います。葬儀の写真、載せようか迷ったのですが記憶を風化させないためにも載せることにしました。さて、暗い話だけではレガちゃんじゃないから坊ちゃんの写真も載せます♪ただいま、1歳3カ月?!7,8歩位なら、歩きます(^-^)でもまだ、お尻が重い☆言葉の理解はかなりしてますね~。今までと違う反応を見せてくれるので!!まだ、会話は出来ないけどなんとなくの会話(?)はしてます♪ヤンチャ度もますますアップ?!そこらじゅう、登る・開ける・出す(><)たいこも上手に叩いてます☆本棚の裏に登っちゃいます!もちろん、表も登ってます…。寝顔は、相変わらず天使ちゃん♪久しぶりのブログを見て頂きまして、ありがとうございました!!ブログは、閉鎖するつもりはないのですが子育てが落ち着くまでは不定期な更新になると思います。こんな私のブログですが、よろしくお願い致します。↓皆様、応援お願い致します☆