からだと宇宙とヒーリングと

2013/02/11(月)10:11

頭でっかちスピリチュアル

ヒーリング(98)

  NYは昨日、吹雪でしたが、今朝になって止みました。 みなさま、お元気かしら〜〜 私は外の天気に関わらず、家でぬくぬくワクワクセッション三昧です あ〜家にいながらにして、毎日、いろんな人と一緒に冒険の旅ができるなんて なんてラッキーなんでしょうね。 月日が過ぎるのはほんと早いもので、つい先日 もう3月の予約が埋まった〜などと言っていたのですが 気がつくと、いつの間にか4月の予約も埋まっていて ひゃ〜早く5月の予定を立てなければ〜と少々焦っています さて、いろいろ書きたいことはあるのですが こういうブログというか、感覚を言葉で伝えるのは 限界があるというより、これは到底不可能なことです。 では、どうしてこうしてブログでお伝えしているかというと これを読んで、何か少しでもワークを受けたり自分でやったりすることを スタートして、自分と向かい合うきっかけになったらいいなあという思いが ほんの少しあるからです(ほんの少しだけかい!) まあ、例え全く意味がなかったとしても 単に書きたいから書くというのが、大部分なのだけどね はっきりと言うと、あらゆる本やスピリチュアルなブログを読んだとしても 自分がワークしなかったら、全く何も変わりません。 というより、さらに頭でっかちになっていく一方です。 私自身、昔はそうだったのですが、スピルチュアルな本やブログなどを いろいろ読むことで『わかった気」になってしまうのです。 例えば 「ありのままの自分を受け入れる」とか 「がんばらない、楽に生きる」とか 「ハートを開いて、すべてを受け入れる」 とか、頭では理解しているつもりになっていても それがどういう意識のことなのか、本当にはわかっていないのです。 例えば先日のハートのワークでどなたかが書いてあったコメントを読んで 「相手のすべてを受け入れる」という言葉だけピックして 「私は彼のすべてを受け入れています。でも彼は私を受け入れていないのです。 彼は愛がなく冷たい人なのです」 とか 「私はすべての人を受け入れています。でも会社の人は私を受け入れてくれなくて 私はいじわるをされるのです」とか 「同情心がない人は、人間らしくないと思います。 それは冷たい人です。 同情されないとさみしく感じます。傷つく人もたくさんいます。 私はすべての人を受け入れようとしています」 などというのは、まさに頭でっかちになっていて 思考で「相手のすべてを受け入れなければ」と思っているだけですから 中身はそうはなっていないのです。 本当にハートで相手を受け入れている状態というのは 自分自身も同時に受け入れられていると感じている状態なので 冷たいとか、いじわるであるとか、人間らしくないとかいう レッテル貼り(ジャッジメント)は一切ない状態です。 これはいくら頭で受け入れよう、としてもできることではなく 潜在意識を変化させない限り、変わりません。 ですから、むしろ、相手を受け入れようとがんばるのではなく まずは相手を受け入れることができない自分を認め しっかりと受け入れることが第一です。 「自分はすべてを受け入れています」ではなく 「自分は同情心がない人を受け入れることができない」と そこに気づいていなければ、次のステップはないからです。 そして、その次のステップとして なぜ受け入れることができないのかを見てゆくこと。 なぜ自分は同情されたいと感じるのか、を見ていくことです。 ちなみに同情というのはいろんな意味がありますが ケアするとか、思いやりという意味では 私は「共感」という言葉を使っています。 (このあたりの言葉の定義は人によって違うでしょうが) 同情というのは、私にとっては 「あなたはそんな大変な状況なのだから、不幸でも仕方ないですね」 と相手のパワーを認めていないことです。 幸せ=状況だと思っている人にとっては これはわからないところなのですが。 この「同情心がない人は人間らしくない」というメールをくださった方は 私が先日、ブログのコメントに 「私は共感はしますが、同情はしないので」と書いたことに対して 送ってきてくださったのですが 私が真にお伝えしたかったことは、相手をケアしないということではなく 「あなたも幸せになるパワーを持っているのですよ」 ということなのです。 あ、ついでにどうでもいいですが 「人間らしくない」というのは、私にとっては褒め言葉になります。 (たぶん、この方は私を褒めるつもりではないとは思いますが^^) たまにクライアントさんにも 「のりこさん、今日は宇宙人みたい〜」とか 「のりこさん、赤ちゃんみたいになってる〜」とか言われますが すべて褒め言葉として受け取っています この「〜〜らしく」というのもすべて思考のレッテル貼りであって 「お母さんらしく」いつも子供のためにがんばらなければ、とか 「先生らしく」何でも知っていなければ、とか 「男の子らしく」泣いてはいけない などと、基本的に「〜〜ねば」という意識なので 多くの限界と制限を生み出し、人生が辛くなってゆきます。 「人間らしく生きなければ」と思ってがんばってしまう人は あまり多くはないかもですが。 (そういう人は、ほんとに宇宙人だったりするのかも) さて、さきほどあげた上の3つの例で言えば、どれにも その根底に共通してあるのが 「被害者意識」です。 自分は悪くない、自分は相手を受け入れている でも相手は受け入れてくれない、 自分の不幸は、周りからやってきている と完全に信じ切ってしまっています。 自分が人生の主体になっていないのです。 多くの場合、ほとんどの人は 被害者意識を持っているということに気づいていません。 実際に「被害にあっている」と思っているからです。 その方たちにとって、両親がひどかったから、会社が、社会が、夫が と常に自分の不幸は周りからやってきています。 この被害者意識は、多かれ少なかれ 多くの人が持っているものです。 この被害者意識が大きく持っている人の苦労話というのは 周りにとって、負担のエネルギーになります。 同情を得ることが、愛を得ることだ と潜在的に感じているので、常に相手のエネルギーを奪う方に働くからです。 (もちろん、本人はそれに気づいていませんが) 例え、同じように自分の苦労話をしても むしろ周りの人に勇気や希望を与えてゆくような人は この被害者意識が根底にないのです。 つまり、被害者意識は、自己価値の欠如、自己愛の欠如から起こります。 自分にはパワーがない、自分には価値がない と潜在的に感じているので 自分がいつでも幸せな方向に変えていけるということを 信頼できていないのです。 一方、他の例で言えば、何度もここに書いていますが 「がんばらない生き方」というのは 何も南の島でのんびり暮らす、とか テレビを見て、だら〜と過ごすということではなく (それが魂レベルでやりたいことならそれもいいのですが) 「人の評価を気にしたり、他の人は自分のことをどう思っているだろう などということを全く意識することなく 自分を自由に表現し、やりたいことだけをやっている状態」 を意味します。 だから、本当にがんばっていない人というのは 実は、ほとんど「悟っている」という意識に近いです。 これを頭でいくら「がんばらないように」 とわかっていたとしても、潜在的に変わっていなければ 無意識に「がんばってしまう」のです。 例えば、わかりやすい例で言えば 幼児の頃の原始反射(特にモロー反射や恐怖麻痺反射)が残っていると 以下のような傾向になることが多いです。 ☆小さなことが気になる(いつまでも頭から離れない) ☆ストレスに弱い ☆人間関係を築くのに努力が必要になる ☆あちこち気になって集中できない ☆人の目を過剰に気にする ☆自己評価が低い ☆何かあると嫌われたかも、などと思ってしまう ☆起こってもいないことをあれこれと考えてしまう ☆感情的、落ち込みやすい ☆自分より優れている人をみると落ち込み、自分を否定的に見る ☆疲れやすい ☆いつも不安になる ☆とっさの判断が苦手(グループの中で自分にふられた時にさっと答えることなど) ☆適応順応力が低い ☆人との距離感がわからない(どのぐらい距離でつきあったらいいのかわからない) まだまだ山ほどありますが この中ですでにいくつか当てはまる人は、原始反射が残っている可能性が大です。 例えば、こういう原始反射が多く残っている人に 「がんばらないでいいんだよ」とか 「自分のありのままの価値を認めて」 などと話したとしても、また、いくらその人が頭でわかっていたとしても 原始反射で無意識に反応してしまっているので、無理なのです。 だから、いくらブログや本を読んでも 変わらないものは変わらないのであって 自分が本当にハッピーに満たされているためには 自分にワークしていくしか道はないと私は思います。 自分にワークする方法は、瞑想でもヒーリングセッションでも 自分にとってピンと来るのなら、何でもいいでしょうが やはり潜在意識を変化させるものであること。 10年瞑想やっても原始反射を統合するのは難しいかもしれませんが キネシオロジーなら1、2回で終了します。 (あくまでも原始反射ということに関しては、ですが) これは人それぞれ必要なものが違うので もちろん瞑想が自分にとって合う人もいます。 ヒーリングやセラピーもできれば 最初は自分でやるより、プロの方に受けた方がいいと思います。 自分が自分にやるのは、あくまでもメインテナンスレベルであることがほとんどですから。 自分では見たくないところは見ないようにしてしまうので ブロックがかかってしまうからです。 「何でも自分でやれなければ」 これもある意味では幻想(マインド)です。 そもそも、例え、自分一人で生きているような気になっていたとしても 私たちは誰一人、自分一人では生きていけません。 今、私が食べている野菜も、誰かが畑で作ってくれたものですし この家も誰かが建ててくれたものです。 私たちはそれぞれが自分の人生を生きることが大切ですが 同時にサポートし合うようにできているのです。 ですから、人にセッションを受けるのは 自分の人生を自分で開いていくことに全く反しません。 必要なのは、自分で変えることを決断すること 選択すること、それだけです。 「ありのままの自分を受け入れる」というのは 自分が変化しないということではありません。 むしろ、どんどんと変化していくことを意味します。 よく「これは性格だから」などと言いますが 性格というのは、一時的な状態を意味します。 変えることができないものは何一つないし 変わらないものも何一つないのです。 宇宙の中で、すべては変化し続けています。 例え、今、自分より周りの人の方が幸せそうに「見えて」いたとしても 自分の中の意識が変われば、世界は全く変わります。 自分は不幸なのが現実、だと思っていたことが 大いなる幻想だったことに気づくのです。 らぶ☆

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