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カテゴリ:源義経黄金伝説(2009年版)
源義経黄金伝説■2009-第28回
■源義経黄金伝説■2009-第 回 作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務所 山田企画事務所 href="http://www.knowledge.ne.jp/lec1379.html">ナレッジサーブ「マンガ家になる塾」 第3章 西行の思い出 一一三八年(長暦2年)から ■■1 一一三八年(長暦2年) 京都佐藤家屋敷。 一一八六年(文治2年)より五十年前の京都。 佐藤康清の屋敷に訪れようとしている数名の侍がいる。京都風ではあるが 少し違う。着物の材料生地はなかなかの質である。裕福さが推し量れるのであ る。 京都油小路二条、神泉苑の傍らに佐藤家の屋敷はある。紀州紀ノ川北岸にある 荘園・田仲庄の上がりで佐藤家は潤っている。 今様が聞こえている。外祖父源清経は白拍子目井とその養女乙前を囲っている 環境にあり、佐藤家もその流れにある。今日は遠くからの客人が来るため、宴 を華やかにという気づかい、聞こえてくるのである。 立派な出で立ちの若侍が挨拶をした。 「奥州平泉の秀衡でござる」 佐藤康清宅に、奥州平泉の藤原秀衡が、お供を連れ、訪れていた。 先先代清衡は、奥州の政情が平安となった時期、京都を訪れていた。京に上る ということは、現在とは意味が異なる。まさに京は、世界の中心であった。清 衡は、京都の栄えを見て、この京都の複製を平泉に作ろうと考えたのである。 そして、京都情報収集基地として「平泉第」を設置した。次は人のコネクシ ョンである。 清衡は、京都とのコネクションを作り上げようと必死であった。 このとき、遠縁である佐藤家を頼った。現在の佐藤康清は、佐藤義清、西行法 師の父である。 「おお、これは、これは、丁寧なご挨拶いたみいります。書状にはいくどか。 このたびは書状とお土産をいただきありがとうございます」 挨拶を返したのは佐藤康清である。黄金や平泉の産物が送り届けられていた。 (若い御曹司じゃ。まだ二〇歳にはならぬじゃろう。が、すでに大物としての 貫禄が、、)康清は思った。 「いや、何の何の、義清殿と奥州藤原氏とは、五代逆上れば兄弟ではござら ぬか。当家もこの京都にはなかなか親戚、知人が少ない身のうちでござる」 佐藤康清は北面の武士。2人の息子がいる。 「奥州藤原氏といえば、京でも黄金王として名前が高こうござる。平泉から 荷駄が入りますれば、京の庶民など、今でも大騒ぎする始末。その御曹司が、 このようなあばら家へようお出でくだされた」 「のう、佐藤殿。少しばかり、京見物につきおうてはくださらぬか」 と秀衡は頼んだ。 「同じ年頃の息子、佐藤義清を京都見物に案内させましょう」 奥から若者が現れる。 「佐藤義清でございます。お見知り置き下さい」このとき二十才である。 「おお、康清殿はみめ麗しいいい息子をお持ちじゃ」 「見目美しいとは、、お戯れを、、よろしゅうございます。どんな場所など 案内つかまりましょうか」 「祖父から聞いております。東山の桜、そして宇治平等院などをのう」 数日後、佐藤家前に、奥州に帰ろうとする秀衡を郎党が待っている。 見送る佐藤義清(西行)だった。秀衡は別れを告げた。 「義清殿、よいか約束じゃ。きっときっと平泉に来てくだされ。佐藤義 清(西行)殿がために、平泉にあるものを用意しましょうぞ」 「私のために、あるものを。はて、何かな。秀衡様、必ず平泉に参ります」 「きっとじゃ、約束したぞ。楽しみにさせよ」 去って行く黄金王,藤原秀衡郎党の行列を見送る佐藤義清(西行)だった 続く090901改訂 作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務所 山田企画事務所 href="http://www.knowledge.ne.jp/lec1379.html">ナレッジサーブ「マンガ家になる塾」 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009.10.17 15:35:43
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