■瀬戸内の海人たち
■瀬戸内の海人たち今回の2冊は中国新聞社の本です● http://www.chugoku-np.co.jp/■『瀬戸内の海人たち』~交流がはぐくんだ歴史と文化~ 著者:森浩一、網野善彦、渡辺則文 体裁 四六判・256ページ 定価 税込価格1,365円 送料 310円 内容 瀬戸内海に新時代を拓く「しまなみ海道」が、99年春に 開通。今注目の3人の歴史学者が内海の通史に光を当てながら、古来「 渡し」ルートの『海道』周辺地域に暮らした海人たちの足跡を語ったシンポ の再録書。 ● http://www.chugoku-np.co.jp/book/setouch.html■瀬戸内の海人たち2 水軍~情報がもたらした文化と経済 著者:森浩一、網野善彦、生田滋、山内譲 判型 四六判・316ページ 定価 税込価格1,470円(本体価格1,400円+税)送料 310円 内容 「瀬戸内しまなみ海道」(本四連絡橋尾道-今治ルート)が1999年春に開通。そのルートにあたる芸予海域を拠点に活躍した水軍の軌跡を、四人の歴史学者が日本史やアジア史の視点から検証したシンポジウムの再録書。● http://www.chugoku-np.co.jp/book/setouch2.htmlという説明ですが、私が要約するとこう意味です。文章責任は山田です。日本の中世・近世は農業的な封建社会ではない。商業・流通・金融が相当程度発達していた社会であるという網野歴史学を確認。○百姓=農民ではない。百姓は色々な人々の意味で、日本建国以来、日本人はほとんどの人が農民のままでいたと考えるのは間違い?農民が搾取されていて、一揆を起こしたというストーリーがあります。が、本当は違うのではないかというのは皆様のご承知の通り。明治時代に鉄道が発展するまで、古来より物資の輸送で一番早く大量に運べるのはやはり船です。○近世の城下町も全て「水につける」船による輸送ができる港部分が必ず設けてありました。特に瀬戸内海岸は、全て海につながっています。奈良朝以降、寺社の荘園がほとんどでした。すると活躍するのは海賊ということになります。海賊とは襲われる方からの名前で、彼らは自らを"関"と呼んでいました。いわば動く関所。瀬戸内海岸から九州北部にかけては、「海の民」の支配地であり、倭寇などは、広く朝鮮、中国の人々など日本人と一緒になって「海の民」のコミュニティを作っていた。国境がないのです。ルールは自分たち「海の民」のルール。海賊として、朝廷につかまったのは自分達の側に逆らう"関"の人々を京都に連れていったとのこと。豊臣秀吉の時期から江戸時代初期までは、船の発達が凄かったようです。ルソンのフィリピン政朝よりも(ちなみにフィリピンの名前はスペイン、パプスブルグ・フェリペよりきています。)船の注文があったとのこと。また、江戸時代初期フィリピン・ルソン島襲撃計画が、江戸幕府により計画されていました。日本人は、農民だけではなく種々の職業で生活していたわけです。年貢も"米"でおさめていたわけではないのです。例えば、岡山では鉄、瀬戸内海沿岸では2/3が米以外の商品。例えば油、塩とか鉄とか。農民が少ないことになりますね。水呑とは、イメージとして非常に貧しい農民というイメージですが、船の交易でもうけていた人も水呑に入ってしまう。つまり農民以外の職業の人が大多数であり、江戸時代中期以降は、農業開拓が進んで農民が増えたとのことです。つまり、日本人はプロフェッショナルな職業の人が多いわけです。今も会社員という農民ばっかりではなく、色々なプロフェッショナルな職業の方々が出現してほしいと考えます。決して農業をうとんじて言っているわけではありません。