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息子が不登校になって一番最初にぶつかった壁は「世間の価値観」です。「世間の 常識」みたいな。それは、いたるところにあり、また自分の中にもありました。 私が「自分の価値観」と思っていたことの大部分は、実は「世間の価値観」だった んです。 それまで私は自分の頭で考えることをあまりしていなかったんだと思います。 「大多数の人がそう思うから」「人と対立しないから」「そのほうが楽だから」 「親から受け継いだ価値観と一緒だから」そんな理由で、ずっと「世間の価値観」 こそ正しく、そこからはずれることはよくないことと思っていたような気がします 生まれてから人生の半分以上も信じてきた「世間の価値観」を自分の中でなくすこと は、とても苦しいことでした。 家庭の中でも、学校の中でも、近所でも、仕事先でもそれは存在し、ほとんどの人は 何の苦もなくそれを受け入れているように見えましたから(本当のことはわかんない けど) だから私は一度そこから離れる必要があったんだと思います。自分を守るために・・ 自分って何だろう、どういう人間なんだろうって考えるために。 自分は何が大事で、何をしたいかってこともわかってなかったことに気づきました。 からっぽな人間だなって。 今も「自分の価値観」が持てたかどうかはわかりません。 多分、その途中だと思います。まだ混沌として、あっちこっちにゆれているような感 じです。 でも最近思うようになりました。それでも社会の中で生きていかなくてはいけないん だったら、可能な限り自分のその時、らくな方を選んでいけばいいのかなって。それ が「自分の価値観」に近づくことかなって。(間違っているかもしれませんが) 「世間の価値観」をなくすことはできないんだから、おりあいをつけて共存していけ ばいいんだなって。流せるところは流そうと思います。 今はそんな感じです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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