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カテゴリ:感じたこと・知ったこと
自分の中に1回ストンと落とし込んだことで、「ああ、こういうことだったんだ」って
体感しても、その気持ちがずっと同じように続くわけじゃないってこと。 やはりゆれるしぶれる。無人島で暮らしてるわけじゃないから、色々なことが耳に 入ってきたり、目にしたりもすると心がざわざわとしてくる。気持ちが上がったり 下がったりしてしまいます。 それじゃあ初期の頃と同じなのかって思うけど、そうじゃない。自分の目指すところが 変わってきたからかなあ。立ち直りと切り替えが確実に早くなってきたし、ずっと同じ ところに止まっていることが、なくなってきたように思う。 「こうゆうふうにも考えられるよね」って無理せずに思えるようになってきた。 子どものあれこれも、少し離れたところから客観的にみられるようになってきた。 底があがってきたというか。。。これは子どもも同じなのでしょうね~ 時間がかかっても、自分で自分に徐々に折り合いをつけていくのでしょうね。 いきつくところはやはり、境界線と思いやりなのなのかなあって感じます。 親子肉親の関係もそうでない関係も。相手の立場に立ってその気持ちを思いやる。 想像する。そして尊重する(それが共感なのかしら?)でも決して同化はしない。 「あなたはそう思うのね。」(私はこう思うのよ。心の中で。) 「そうなんだ」「それは大変だね」「それは辛いよね」「悲しいよね」「腹たつよね」 もしくは「それは素敵だね」「嬉しいね」「おもしろそうだね」って思う。 そして自分は自分の大切を守る。自分の心地いいと思う生き方をする。 それが相手と交わるところがあれば「同じだね」って喜び、交わらないところがあれば 「あらそうなんだ。違うのね。」と思う。ただそれだけでよかったんですね。。。 子どもには自分と同じを求めてた。自分が困ること以外でも、変えようと干渉してた。 そしてそうならないと「どうしてわからないの」って怒ってた。「なんでそうなの」と 不安になっていた。 子どもは子どもで自分の大切があったのに、自分の幸せに至るまでの子どもなりの ペースがあったのにそれを見守れなかった。急いで自分の好みに変えようとしていた。 自分の安心のために。。。 以前におとねさんに「そのうち新生息子さんが現れますよ」と返事をいただいたことが あって(たしか掲示板で)、その当時はその意味がすぐには腑に落ちなかったのですが 最近特によくそれを感じます。生まれ直しのあれこれだったのかなあって。。。 息子は明らかに私とは違うんです。感じ方も、考え方も、したいことも、生きるペース のようなものも。どう違うかときかれると一言では言えませんが。 そして彼は今少しずつではありますが、自分の思うように行動しています(と思う) ああこれが本来の息子の姿であったんだなあと感じます(感じているだけかもですが) 私や夫や周りの人間が、自分の思うようにねじ曲げて押さえつけていたから、それを 出せずに、自分のカラに入っていたのかな。。。 そして、新生息子はおずおずとではありますが、自分の道を歩き始めているように思い ます。私はただそれを見ているだけですね。そしてどうなるかわからない先のことは 考えずに、今の自分の人生を生きるだけです。 少し寂しくはありますが、今はそう感じています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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