|
カテゴリ:感じたこと・知ったこと
ご無沙汰していました。年末の気忙しさもありなかなか
パソコンに迎えませんでした。 これは何ヵ月か前に、図書館でたまたま手にとって読んだ 本の中にあったフレーズです。 題名は『過食症に苦しんでいるあなたに』(さかもと聖明著) です。私はストレスが貯まってくると、過食ぎみになるので 「ひょっとして過食症?」と思ったりすることが何回かあり ました。それでこの本を手にとったのかな? この著者は男性ですが過去に過食症で、その体験をもとに書か れています。今はカウンセラーをされてる方のようです。 本を読み進めてみると私の場合は、一般的な過食症とは少し違う ようです。大量に食べては吐くことを繰り返してはいないから。 ただ心の中に満たされない何かがあって、それを食べることで発散 させようとしているのかな。過食症になる芽はあるのかもですね・・ そこに「他人の評価がとても気になる」とか「自分に完璧を求める」 とか「今の自分をどうしても認められない」とか「無力感」とか等々 の要素が加わると、「もっと美しくなって認められたい」と思うの でしょうか?自分が嫌と言う自己否定がとても強くなるのかしら。 過食症について詳しくはないので、間違ってたらご免なさい ![]() 話が少しそれてしまいましたが、ここで過食症について書こうと今回 思った訳ではないのです。 今回は「人を羨む」と言う感情について、書いてみたかったのです。 自分の中に確かにある感情ですが、普段は蓋をしていると言うか、 押し込めてることが多いから。 自分のなかのちょっとブラックな部分ですね~ またまた本からの引用になりますが、最近借りてきて読んだ本の中に 片田珠実さんと言う女性の精神科医の方の『正義という名の凶器』と 言うのがありました。その中にこんな記述があります。 自分が大切だとみなしている領域で他人の優越性を思い知らされ たり、他人の成功や幸福を見せつけられたりすると、我々は羨望 にさいなまれる。これは非常につらい。自尊心や自己愛が傷ついて、 ときには自分は生きている価値も存在理由もないのではないかと いう思いにとらわれるからである。 つまり自分の人生が順調にいってると思うときは、他人の幸福には 寛大になれるけれど、自分が不幸だうまくいってないと感じている 時は、そうは思えないと言うことなのでしょうか? それも自分のアイデンティティに深くかかわると思える部分で・・・ それなら私は非常に馴染みのある感情です(笑)いくら人と自分を比べ ないと思っていても、人間どうしてもそう出来ない時もありますものね。 正しこう言った羨望や嫉妬心は、誰でも抱く感情ではあるとはいえ、 「陰にこもった恥ずべき情念」なので自分の中にあることを皆認めたが らないと片田さんは書かれています。それでそこに「正義」の仮面を 被せてお相手を攻撃したり、怒りに変えたりしてしまいがちだと。 そして自分に対する過大評価が大きいと(自己愛が強すぎると)さらに そこに拍車がかかるのだそうです。なんとなく納得です ![]() 私は今は自分のことを不幸だとばかりは思っていません。幸せなところ もたくさんあると思っていますが、確かに自分の中にもある感情なの だと思います。以前はそれを認めることが怖かったから、無理に無い ものにしようとして、押し込めて余計増大していったように思います。 今は「しゃあないな」「どうしてもそう思っちゃうんだものね」と認め てあげられるようになりました。たまに「ついてないだけ」と思ったり する時もありますが・・・ これから年末年始で親類の方とも会う機会が多くなります。年賀状も あります。誰しも切れない関係と言うか、しがらみもありますものね。 どうしても自分の中に沸いてきてしまうこう言った感情は、大切に認め て、よしよししてあげようと思っています。そうできる自分になれたこと も成長だと感じています。すんなりとそう思えないときは、題に書いた 言葉を呟いてみようかな。今は「境界線」と言うよりしっくりきます。 自分の感情は自分が作り出したものだから。 それを手放そうと思えるのも、また自分の感情なのですよね ![]() ![]() ![]() 今年はお家のクリスマス会も年末の大掃除も、さくさくと動けました~まだ全部は 終わっていませんが・・・年内にブログもあと1度くらい更新出来るかしら? これは昨晩書いたものです。アップするのは今日になりましたけど ![]() 皆様よいお年をお迎えくださいね ![]() お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[感じたこと・知ったこと] カテゴリの最新記事
|