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カテゴリ:私のこと
な方でした~と、過去形で良いのかしらね・・・少なくとも以前よりはずっと上手になった
と自画自賛しています。まだ子どもたちとの間では、かなり自信が無い場面もありますが。 「境界線をひく」ことを意識し始めたのは、今から約7年前のことです。その頃よく見てた 不登校の掲示板で、息子との間のことを相談したときに、初めて教えて頂きました。 最初は意味がよくわかりませんでした。と言うか自分と子どもとの間の境界線が曖昧でした 今風に言うと「はー?」って感じだったのかな。頭の中に?マークが一杯浮かんでる感じ。 子どもと一体化していたのかしらね。当時は子どもの問題を解決することに一生懸命でした そして境界線を引こうと意識すればするほど、空回りして益々子どものことが気になる・・ 最初はそんな状態だったと思います。何時も何時も自分の問題にして悩んでいました。 そして過去の子どもの状態に拘って、今の子どもの姿を受け入れることが出来ませんでした 私が息子との境界線が引け始めたのは、彼が高校で再度の不登校になった頃からですね。 彼自身のことは本人に任せるしか無いと強く感じたからです。そして息子自身からも線を 引かれたからです。彼の領域を侵すことは出来ませんでしたね。 そして私もこの頃から、自分と他者との境界線をひく大切さのようなものに気づき始めた それを意識することによって、自分が真の意味で自立することに向かえたのだと思います でもね~まだ苦手意識はかなり強いのです。 最近その元凶のようなものがやっとわかりました。それは実家の母とよく会うようになった からなのです。実家の母は人に進入されやすい人です。そして自分も人に進入していきます 繊細なのかと思えば、鈍感なところも多いと思います。自分がどうしたいかも曖昧ですね。 自分自身の輪郭がハッキリしないから、境界も引き辛いのだと思います。人の事は分かる。 あれっ!?自分も意識してないと、そちらに流れがちかな?親子だしね。似てますね。 私の場合は、お相手の境界を侵して進入していくことは、今は殆ど無いと感じてます。 が、それも自分がそう思ってるだけなのかしら?お節介おばちゃんになってないかな? 自分自身が進入されまいとするあまり、人との距離をとってしまうことはよくあります。 アサーティブも苦手ですしね。境界線を引いて風通しの良い関係が持てるのが理想だけど まだもう少し時間がかかりそうですね。 百合 百日草 千日紅 金魚草 強い日差しの中花壇のお花は元気に咲いてます お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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