カテゴリ:カテゴリ未分類
10年前に父が亡くなった日だ。
身内の最期を看取るのは初めてだった。 湯灌は当時入院していた病棟の婦長ともう一人のナースがやってくれた。 脳梗塞で、生死の境をさまよい、命は取り留めたものの、 半身麻痺と言語障害が残った。 私が勤務していた病院で当初認知症病棟に入院していたが、リハビリ病棟に転棟して、せっかく上り調子だったのに、(糖尿病と高血圧が持病で、倒れたときに腎障害を起こし人工透析をするかという話が出るくらいだったので)病状が悪化、重症病棟に転棟してまもなくの死だった。 血圧が下がった、今夜が峠だと連絡を受け、母、弟、父の兄に当たる伯父、母の姉に当たる伯母夫婦、そして元旦那の両親が来た。 ぷーさんのことも、みんなのこともわかっていたが、言葉が、声がかすれてしまっているので、はっきり聞き取れなかった。どうも、元気になったら仕事(宅建の資格を持っていたので)して、ぷーさんを大学に進学させて父の夢だった、医者にするんだといっているらしかった(父の父すなわち祖父は青森県で街医者だったそうだ55年位前の話で私はその祖父とはすでに亡くなっていたのであっていない)。 今夜が峠・・・と聞き、母は弟の車で伯父とともに帰宅して身支度を整えてからまた来るということで、帰り、舅・姑は、私といっしょに居たぷーさんを預かってくれるといい、ぷーさんと帰っていった。 残ったのが伯母夫婦と私。 ちょうど昼休み過ぎ。 オムツ交換の時間。席をはずした。 おむつ交換がおわり、父の元に行く。 日勤のナースが来て痰を吸引していた(前日はかなりの量の痰がでたと母が言っていた)。 父は2~3回息をして、急に息が止まった。顔はにっこり笑っていた。 「おとーさん!!ちゃんと息して!息しないと苦しいよ!!」と私が耳元で叫んだりゆすったりしたが、ナースステーション前の重症部屋だったのでステーションの中から、 ピーと心拍数ゼロの音がした・・・ あぁこれは父のモニターの音だ、すぐにわかった。 最期の死亡確認は、私が勤務していた時の院長兼病棟主治医だったS先生。 もう少しで勤務を終えて帰るところだったらしい。 よかった、S先生で。 ・・・父の誕生日が3月18日、命日は6月16日。時々取り違える。 今年も取り違えていた・・・ ごめん、今年は仕事で、お墓参りにいけなかったよ・・・。 ぷーさんは、頑張っているから、安心してね。でもぷーさんの人生はぷーさんのものだから、 自分の好きな道に進ませたいと思っている。 **************************************************************** これは実家に行くとある、ピローミスト。 なんと作ったのは、あのお線香で有名な日本香堂。 アンミングと言うネーミングどおり、眠りやすい、柑橘系の香り。 この線香も日本香堂のもの。 香りが甘くいい感じ。父の仏壇の必須アイテム。 鎌倉の鬼頭天薫堂の「源氏山」 これも必須アイテム。天薫堂は楽天から撤退したが、楽天内のほかのショップでも購入可能。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Jun 18, 2007 11:08:19 PM
コメント(0) | コメントを書く |
|