1年前の今日は
わたしが行岡病院から退院してきた日。 早いものでもう1年が経ったんですねぇ…。もうわたしは大阪の病院へ行くことはない…と思うと、3度にわたる長期入院中の想い出のかずかずが、頭の中を駆けめぐります。 2001年9月12日、家を出るとき、もう2度とここへ帰ってこられないんじゃないかという哀しい気持ちでいっぱいでした。この日の朝、アメリカでの同時多発テロ・ニュースが耳に入ってしまったのがわたしの不安に拍車をかけたんです。大阪という見知らぬ都会へ新幹線でいくということが、家の中でばかり過ごしてきたわたしにとって、かなりのプレッシャーだったんですね。プレッシャーはそれだけじゃなく、言葉のちがいにもあったし、なにしろ家族はめったに面会に来られない場所だし…。でも、もう股関節が痛くてガマンならなかった、だからこそ遠い大阪まで行く決意がついたわけなんですが。 行岡病院のみなさんは、とてもフレンドリーな方たちで、遠方からきたわたしにたいへん気遣ってくださいました。同室の患者さんもドクターもナースも、みんなみんな気さくで親切なかたたちでした。みなさんとの想い出はここに書き尽くせないほどたくさんあります。とりわけ、わたしが初めて問い合わせの電話をかけたときに応答してくださったSナースは、いつも、わたしの精神的自立をうながす言葉がけをしてくださったかたです。きっとはじめて会ったときのわたしの姿が、あまりに頼りなげに見えたのだろうと思います。なにしろ、あのころのわたしは、口数も少なく(言葉の違いに緊張してたので)オドオドして暗そうな雰囲気をただよわせていただろうと思われ…。Sナースは、わたしと両親の3人がそろうと決まって「手を貸しすぎちゃダメですよ、お母さん」とおっしゃる、ゆくゆく困らないよう自立心を持たせるようにと。こういうことを口にしてくださるのは本気で考えてくださるからこそ、ありがたいことです。…自立心、なかったわけではありませんが、こんなにも早く、母に頼れなくなるとは思いもしなかった。そしてこれからもっともっと強くならなければ。一人でも暮らしてゆけるだけの極上な精神力をもてるように。これが目標ですね。 ここ5年のあいだに、行岡と自治医大へ入退院をくり返し、8度のオペを受け、入院期間は通算すると17カ月。我ながら、よくぞ耐えたと思います。今だから言えるのでしょうが、この経験は、ただのつらい日々ではなく、感謝でいっぱいの日々でした。けれども、もうこのような緊迫した期間は、持ちたくありません。のほほんと家で過ごせるシアワセ、かみしめる毎日です。こう書きながら、ひだまりさんのことや、入院中の親友のこと、ほかにもつらい身体を持ってがんばっていらっしゃる友人たちのことが浮かんできます。わたしのつらかった日々に、こうしてささやかなるも「しあわせ」と感じられるいまがやってきたように、あなたにもそのときが一日も早くやってきますよう、お祈りいたしております。 そして大阪でお世話になったみなさま…どなたかこのブログをご覧になっていらっしゃるでしょうか…わたしはみなさまからいただいたご厚意に感謝いたしておりますことを、あらためて申し上げたく存じます。ほんとうに、ありがとうございました! そして、リウマチに負けないで、良き日々を過ごされますことを、遠き地より心からお祈り申し上げます。ひさびさにスキャンしました野バラ、鉢植えなんです(5月11日撮影)たった1日だけど、可憐に咲くの~