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中学生ぐらいの頃から、数学と理科の授業が少しずつ億劫に
思え、高校生の時にはお昼寝タイムになってしまった私の学生 時代。 現代文・古文・日本史・世界史の授業は大好きだったから、勉強 してるっていう感覚ではなく、趣味に打ち込んでいるという感覚 で、文系まっしぐらになってしまった訳だけど… この年になって、というか数年前から、 「ああ、私はどうしてもっと真面目に数学や理科に取り組まな かったんだろう」と深く反省する場面によく出くわすように なった。 ひとつには、仕事において、何かを提案したり、説得する際に 正確な数字を提示し、統計を取り、傾向の分析をするような時に その作業がなかなかスムーズに進まずに苦労するからということ。 もうひとつは、こんな風に文章を書く際に、偏った学び方をした せいで、引出しの少ない、広がりのない文章になってしまいがち に思えてしまうということ。 森鴎外という作家はもともと医者だった。 イギリスの作家サマセット・モームも医者の卵だった。 生きてる作家では、渡辺淳一ももと医者ですね(笑) バリバリの理系人間が作家になることは昔も今も珍しくない。 だからなんなんだと言われると困るけれど、私は感情的過ぎる 小説は好きではないので、程よい距離感を保つ文章を書くため には、理系要素も必要不可欠かな?なんて思ったりする。 「美しく見える距離」について書いたけど、小説もまたしかり だと思うのだ。 私は主人公以外の登場人物について、その人間性やエピソードが 物語の筋をやさしく彩る作品が好きなので、春樹さんの本が好き なのだと思う。 会話の内容や情景描写に「うん」「うん」うなづいてしまうのは 彼が生活に密着した作家であるということも大きな要因だとは 思うけれど… 会社の女の子が、 「私は絶対理系の人が好きです~」 と言った。 理由を尋ねると 「だって…いいじゃないですか。余計なこと言ったりしなさそうだ し」 なんて言っている。 理系=シンプルな人だと思っているみたいだ。 私は思うんだけど、想像力の欠如した人と理系を一緒にするのは ちょっとあんまりなんじゃないかな? 本ばかり読んで、難しい数式と戦い、研究に明け暮れるだけの 頭でっかちではなくて、歩いて呼吸して、たくさんの経験を 積みながら、数字にも強いんだなこれが。 っていう男性が理想に思う(笑) 「私は小説の話がしたいから、数字に強い文系男が好みだ」 と彼女に言ったら、 ぽかんとして 「やっぱりりえりんさんはちょっと変わってるわ」 と言われてしまった。 そう? 欲張りなだけよね。 私って変わってるんだろうか?(笑) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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