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カテゴリ:ささやき
私は、母を介護して来ました。 同居する母の世話を引き受ける代わり、もし母が世を去ったらその後は別居する兄に引き受けて貰うつもりでおりました。 母の様子が急変した時、私は救急車の要請と同時に兄に連絡を入れました。 でも、来ませんでした。 病院の廊下で、「どうして、来ないの?」と強烈な不安に苛まれながら待ち続けました。 夕方、母は意識が戻らないまま死去しました。 最愛の存在との突然の永遠の別れ。 それでも、兄の姿は現れません。 「いったい、何がどうしたの」と、ただひたすら携帯番号を押し続けていました。 仮通夜も終わろうとした頃、メールが届きました。 「遺体は、30万円コース(読教無しの最低料金)で火葬場に送れ」 これは、断りました。 結局、兄は(仮通夜・通夜・葬儀・初七日・四十九日)のどれにも来ませんでした。 家族が亡くなると、用事は葬儀だけでは済みません。 介護関連や医療機関への連絡とご挨拶・各種の資格抹消の手続き・名義変更・僧侶との交渉・お世話になった方々へのお香典返しやお礼状の発送。 兄は、これ等のどれに対しても完全にノータッチでした。 その間、電話とメールが数回届きました。 「借金がある」「喪服がない」「寝たいから、電話はするな」「当座の金を支払ってくれるなら、お参りしても良い」 兄の理屈では、お金を借りている人は全員親の死に目に会えず弔いにも不参加になります。 でも、そんなお話は聞いた事がありません。 それも、耐えて来たのですが。 やっと一息吐こうとした私に、母のお金の話を言い出しました。 兄は自称”社長”で、不相応な邸宅に住んでいます。 数年前、家賃の高額さに驚きました。 その話をしたら、「煩いな。しがらみもあるから、借りてるんだ」と途端に不機嫌になり話を打ち切りました。 私は、数か月間食事が咽喉を通らなくなりました。 ほんの少しでも休んで心の底から泣いて母の死を悼みたいのに・・・。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2019年10月01日 15時05分42秒
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