テーマ:短歌を詠む・読む(60)
カテゴリ:短歌
短歌が出来るとき、それは人それぞれだと思うのですが、私の場合、きちんと机に向かって…、ということはほとんどありません。
多いのが、電車に乗っているとき、寝ようと思って布団に入ってから寝付くまでの間、歌集を読んでいるとき、それからお風呂に入っているときなどです 何となく、「短歌の一部分」が頭に浮かんでくることが多いです。 それは上句の五七だったり、下句の七七だったり、その他いろいろですが。 そういうときは、できるだけ「とりあえず五七五七七の形」にします。 とりあえずで、完璧な形でなくてもいいから。 ずっと前に、確か佐藤佐太郎だったと思うのですが、とにかく歌人が書いた文章を読んだときに「とにかくその場で五七五七七にすることが大切である」という意味のことが書いてあって、それがとても心に残りました。 なので、なるべく、数合わせでもいいから五七五七七までは持っていくようにしているのです。 とりあえず五七五七七になっていれば、あとで推敲もできるし…、と思いつつ さて、とりあえず「短歌」(もどきのもの)ができても、それをずっと頭の中にしまっておくのは、まず無理ですから、それをどこかに記録しておく作業が必要になります。 せっかく思いついた「短歌」を忘れると、あとでとてーも悔しい気分になるので(数え切れないほど経験あり)、できるだけ早く記録することを心がけます。 以前は、小さなリング綴じの手帳+ミニシャープペンシルを常に持ち歩くようにしていて、思いつくたびにメモしていました。 電車の中で必至に書いていた姿は、結構怪しかったかもしれません(笑) ただ、1年くらい前からは、携帯電話の「フリーメモ」機能が、それに取って代わってきています。 携帯電話なら、たいてい(文字通り)携帯しているし、たいていの漢字も変換できるので、短歌をメモしておくには便利なのです。 それに、あとでまとめてパソコンにメール送信できますし。 (私は、自作の短歌は、全てパソコンで一括管理しているので。) 思いついたときに、とりあえず打ち込んでおいて、ある程度たまったらパソコンに送信する、というのがここ1年くらいのパターンです ただ、時々困るのは、短歌は浮かんだ、でも、携帯電話が操作できない! という環境下にいるときです。 いちばん代表的なのが、お風呂に入っているとき まさか、お風呂に携帯電話を持って入るわけにもいきません。 でも、お風呂に入っているときって、結構、短歌が思い浮かんだりするんですよね。 1首だったら、一生懸命頭の中で(ときには口に出して)繰り返し唱え続けて、お風呂から上がって服を着たら、真っ先に携帯電話に打ち込むようにしています。 でも、2首、3首…、と浮かんだら、これが困るんですよね。 今日も、お風呂に入っているときに3首くらい浮かんで、「忘れてしまったらどうしよう?」と、かなり焦りました。 3首もあったら、ずっと唱え続けているわけにもいかないし…。 そしてまた、こういうときに限って、「短歌ができた」事実だけは覚えていて、肝心の中身を忘れてしまったりするのです。 そうすると、悔しさは相当のものです。 今日は、何とか服を着終わるまで覚えていられたので、速攻で携帯電話に打ち込みました。 ギリギリセーフ! って感じ。 それにしても、お風呂の中でも使えるメモ帳かボイスレコーダーなんて発売されないかな…、などと考えてしまいました(笑) 話はそれるけど、昨日の東京歌会で「湯あたり」という言葉が出てくる歌がありました。 今まで、私は「湯あたり」という言葉を、何故か、温泉の成分などが体に障ること、と思いこんでいました。 でも、その歌の文脈からも、何となく違う気もしてきて、心配になってきたので、あわてて電子辞書をひきました。 そしたら、「湯あたり」とは、お風呂に入っていて体調が悪くなること全般を指す言葉らしくて…。 長いこと、言葉の意味を勘違いしていたことが分かりました。 それなら、私は、よく湯あたりしていることになるなぁ、とも思ったりして。 (ちょっと熱めのシャワーを浴びすぎただけでも、立っていられなくなるくらいふらふらになることも、しょっちゅうあるのです。) 湯船の中で、そのことを思い出していたら、なんだか心臓がバクバクいいだしたような気がして…。 それこそ「湯あたり」しそうだったので、あわてて上がったのでした。 あああ、もうちょっとゆっくりつかるつもりだったのになぁ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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