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風邪的症状はだいぶ治まってきましたが、まだ身体だるすぎ…。
これって、湿度のせいなのかしらん…。 食欲もなかなか上がらず、アイス・カフェ・オ・レ飲んだり、蜜豆やゼリーを食べたり、が中心になってしまいます。 昨日の夜、なぜか教育テレビがついていました。(私がつけたのではない) 最初「こんなん、要らん!」と思って、すぐ消そうとしたのでしが、話題が老老介護&介護保険のことで、ついつい見て(というか、正確には寝っ転がりながら聞いて)しまいました。 番組は、老老介護の果てに、心中を図り、結果的に被介護者の妻だけが亡くなって、介護者の夫は死にきれなかった、そのため夫が殺人罪に問われ、執行猶予判決になったけど、拘置所出所の4日後に、今度は本当に自殺をしてしまった、という、名古屋の事件を中心に進められていました。 妻は認知症の症状が出ていて、その妻の面倒や家事一切を、70代の夫が見ていたとのこと。 病院も、行政も、結果的に救済できなかった、その問題点は? という番組でした。 妻は病院に通っていたけど、医師もケースワーカーも何もできなかった。 市の福祉も、老老介護世帯にまで訪問に行って実態を把握する余裕はなかった。 (独居老人だけでも、目の回るような忙しさらしい) 福祉窓口も「窓口まできてくれたら、何らかの形で援助できたと思うんですけど」というだけ。 結局、介護保険になって、「1人1人にあった介護プラン」「自由に選べる」みたいなメリットばかりが強調されているけど、その裏には、自分からは声が出せない人に、以前にも増して救済の手が差し伸べられにくくなっている実態があるのでは? と感じました。 「措置から契約へ」っていうと、聞こえはいいかもしれないけど、本当に介護サービスを必要としている人は、えてして、声が出しにくい人だったり(つまり、自分から窓口に行ったり、他人に相談したりはしにくい)、契約能力に問題がある人だったりするわけです。 (全員がそうというわけではないけど) そういう人達に、積極的に手を差し伸べて、本当に必要なサービスが行き渡るようにするのは、やはり行政の責任だと思うんですけど。 こういう懸念は、介護保険法の案が出た段階からすでにあったはずなんです。 にもかかわらず、施行後6年以上たって、なおこういう問題が放置されていることに、すごく疑問を感じます。 それとともに、自分たちの親がなったらどうしよう? 自分がなったらどうしよう? とも考えさせられました。 長生きするのはいいことのはずなのに、それに罪悪感を持つのは、親も自分もいやです。 だから、素直に「長生きしてよかった」と思えるような社会になってほしいな、と。 これは、一市民のささやかな願いです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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