水俣病の闘い!!
みなさん、こんにちは。今日は有機水銀中毒の続きです。医学を突き詰めていくと、食や環境の問題に突き当たります。ここを抜きにして医学は存在しないと思います。さて、「水俣病」とは、有機水銀による中枢神経・末梢障害。診断基準は、<手足の末端ほど強い感覚障害を有するもの>これだけです。感覚障害とは、しびれや痛みなどの異常で不快な感覚を総称したものです。1971年にこの診断基準のとおり、感覚障害だけで水俣病と認定していました。1973年水俣病第一次訴訟判決が確定。これで、患者団体と昭和電工、チッソとの間に補償協定が結ばれます。しかし・・・・・政府はこれ以降、補償額が急増するのを恐れ、1977年 水俣病の認定基準を厳しく改定します。 その改定した診断基準とは・・・・「感覚障害と運動失調など複数の症状の組み合わせを満たすもの」に変えたのです。これはいわゆる水俣病患者切捨て政策のはじまりです。つまり、診断基準を厳しくすることによって、患者数を減らして、補償額を少なくしようとしたのです。この舞台裏はどうなっているのでしょうか?ここは、皆さんの生活にも関わってくることですので、カラクリをお話したいと思います。政府が御用学者に、行政に都合のよい「基準」を作らせます。(一般に大学の教授、研究者などは、政府からお声がかかるとシッポを振って委員会の委員になります。金と名誉欲ですね。もちろん、例外もありますが、そういうまともな人はやがて切り捨てられます)今度は行政がその「基準」を「学者のお墨付き」として掲げ、力のない国民を切り捨てていくのです。これは官僚・政府の常套手段ですね。昨今のBSE,建築基準法違反などすべて同じ構造です。この御用学者たちは、水俣病を例にとると、委員として審査にあたるまで、水俣病の患者を診察したこともないものばかりだけなく、水俣がどこにあるのかも知らないものばかり。認定審査委員会では、「手足がしびれる」「視野が狭くなった」「耳が聞こえなくなった」といった水俣病の患者に対して「頚椎症」「腰痛」「老人性」などのバラバラの病名をつけて棄却しました。同一地区に同じ症状が多発しているというのにです。こういう委員の診断によって、多くの患者が「水俣病」でないとされていたのです。おそろしいですね。たしかに、「にわか患者」というのが一定の数はどうしても含まれます。しかし、それは全体にすれば微々たる数。これ以降、水俣病全国連と政府との闘いは続くことになります。1995年 とうとう政府は、1968年以前から水俣地域に住み四肢末端に感覚障害のあるものを救済する解決策を打ち出さざるを得なくなります。その結果、合計12,370人が救済されました。それでも、患者認定数、補償内容などまだまだ未解決問題が山積しているようです。この水俣病の闘いの歴史は『水俣病の真実』(矢吹 紀人 ,大月書店 )に詳細がありますので、参考までに、ご紹介しておきますね。