スカルラッティ・ソナタの変わり種(その2)
前回に取り上げた緩・急二つの楽節が交互に現われるソナタについて、それらがG. ペステッリの著作中で「容易で変化に富んだ様式」に属する二つの作品群の一方として扱われていることをご紹介しました。それではもう一つの作品群はどういうものかというと、「パストラル(牧歌)」というカテゴリーに分類されるソナタのようです。ペステッリがこのグループに入れた曲は、彼の付けた番号順にK. 235, 202, 273, 415, 513, およびK. 446の六曲(P. 172~177)。ヴェネチア手稿で第XII巻の最後に現われる作品としても有名なK. 513も緩・急二つの楽節が交互に出て来るという点では最初の作品群に入れてもよさそうなものですが、この曲には珍しくソナタではなく「パストラル」という表題がついており、確かに三拍子系の緩やかな楽節は牧歌的な響きを持っています。スカルラッティの全鍵盤作品中、手稿譜の表題に「パストラル」とあるのは、これに加えてK. 415およびK. 446の全三曲でいずれも上記のリスト中に含まれており、グループの定義そのものがこれらの曲に由来するものと想像できます。その昔、カークパトリックはK. 513について、「1756 年に書き写された優美な小品であるクリスマス牧歌(ソナタ513 番)に見られるように,彼の想いは時折その若い頃の記憶へと運ばれて行った.そこには,クリスマスの頃に南部イタリアで今でもよく耳にする『牧人の笛吹き(zampognari)』のバグパイプの音が聞こえて来る.この作品は,圧倒的にスペイン的な特徴を示す彼の晩年のソナタの中で数少ない例外の一つである」と述べており、晩年にイタリア時代を回想しての作品と解釈しています注)。が、先にも書いたように、ペステッリに言わせると、これらの作品群は「練習曲集(Essercizi)」と時間的にあまり遠くないタイミングで作曲されたもので、むしろもっと若い頃の作品と考えているようです。(例外がK.446で、これはもう少し後かもしれないとも。)その根拠として、ペステッリはドメニコ・ツィポーリ(Domenico Zipoli, 1688年-1726年)が南米に渡る直前、1716年にローマで出版した「オルガンとチェンバロのためのソナタ」中の「パストラル」と題された作品との類似を挙げています。早速ネットで調べてみると、前世紀初頭にRicordi社から出た譜面がIMSLPライブラリにあったので(下図)、ダウンロードして未音亭の楽器で音にしてみました...確かに雰囲気がよく似ています。ツィポーリはこの出版の直後にスペインのセヴィリアに渡ってイエズス会師となり、そこから南米に向いました。ペステッリは、スカルラッティが1730年から1733年にかけて同じセヴィリアに滞在したことから、そこでツィポーリのこの作品を知るに至った可能性も指摘しています。とはいえ、どうやらパストラルという作品群の一部は、昔からあるポピュラーな民謡に基づいているらしく、それを考え合わせると、ツィポーリとスカルラッティの作品が似ているのは単に元ネタが似ているだけかも知れません。(我々もよく知っているクリスマス・キャロル、「きよしこの夜」は19世紀初頭に作られたそうですが、やはり雰囲気がよく似ています。これらの曲、弾いて楽しい作品群でもあり、特にK. 513などは今頃の季節感にぴったりではないでしょうか?)なお、ペステッリは残りの三曲について、特にK. 235やK. 202が依然としてEsserciziの世界に強い親近性を示しているとも主張しています。K. 273も含め、これらの曲ではA-B-Aという楽節展開のBにあたる中間部分で三拍子系の決まりきったリズムパターンによる牧歌的な響きの楽節が置かれており、前の三曲とはやや異なる構成になっています。それにしても、前回取り上げたソナタを含めて、ペステッリがこれらの作品を「容易で変化に富んだ様式」という分類の下に置くところまではそれなりに理にかなっていると思われますが、その中でさらに作曲の時間的順序まで踏み込んで論じるだけの確かな拠り所があるようには見えない感じです。とても大胆で面白い試みではありますが...注)クリストフォリ・ピアノのレプリカでドメニコのソナタを録音した渡邊順生氏は、そのCDのライナーノートの中で、K. 513について「このソナタはクリスマスとは関係がなく、どちらかというと収穫祭を想わせる」と書いています。もしかすると、同氏は元ネタをご存知なんでしょうか?