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カテゴリ:音楽
このところハープシコードに主役の座を奪われて、あまり弾いてもらえない未音亭のピアノですが、震災後に一度調律したきり放っておいたところ、今年になってさすがに狂いが耳につき始めました。以前お願いしていたY社の調律師さんからは毎年頃合いを見て電話がかかって来ていたのですが、どうやら忘れられたようで最近は音沙汰なし。それならば、ということで今回初めて個人営業の調律師さんにお願いして来て頂きました。特に高音が大分下がっていたようで、調律の結果とりあえず元の明るい響きを取り戻した感じです。脇にハープシコードが置いてあるのに気付いた調律師さんに「今度は少しピアノの響きを楽しまれては?」と促され、いざピアノに向かったものの、暗譜ではほぼ何も弾けない状態になっていることを思い知らされました。(やれやれ...) ところで、このところサイバー空間でスキップ・センペの「追っかけ」をやっている亭主は、中古CDを買いあさっています。残念ながら、国内のサイトではなかなか見つからないので、高い送料を払ってもっぱら米国アマゾンから購入。先週末には注文中のCDの一つ、センペとバーンフェルトによるフォルクレの作品集が届きました。 アントワーヌ・フォルクレ(1671-1745)といえば、ヴィオールの名手・作曲家として知られています。もちろんヴィオールといえばマラン・マレが著名ですが、同時代人のシャトーリオンは次のように言っているそうです。「誰もマレを超えることはできないだろうが、彼に匹敵する者が一人いる:かの有名なフォルクレだ。彼はちょうどフランスでイタリアの音楽が驚くほど精巧に真似されていた1698年頃にこの世界に登場した。フォルクレはヴァイオリンがなし得る全てのことをヴィオールで試み、それを高度に成熟させることに成功した。」 別の記事によると、マレが優雅で温和な音色を特徴としていたのに対し、フォルクレの方は表現衝動に富んだ鬼気迫る演奏から「悪魔のようなフォルクレ」と呼ばれた、とあります。 一方、ライナーノートの記事によると、フォルクレには「グレた」息子がいたそうで、悪さばかりしてしばしば警察沙汰になるなどしたため、父親は息子を監獄の中に閉じ込めておこう考えたほどだったようです。(父親が息子の才能に嫉妬していた、という話もあるようで、やはり芸術家の親子というのは人間関係が難しい?)ところが、父親の死後にヴィオールの作品集、およびそれをハープシコードに編曲したものを出版したのがその息子だったとのこと。このCDではその両方からの作品がほぼ半々に取り上げられていて、ハープシコードの独奏・伴奏いずれもセンペが受け持っています。 実際に聴いてみて一つ気付いたこととして、ラモーのコンセール第5番冒頭にある「ラ・フォルクレ」という曲の和声進行が、まさにこのCDの作品中であちらこちらに現れることが挙げられます。一方で、フォルクレの作品にも「ラ・ルクレール」、「ラ・クープラン」、「ラ・ラモー」と同趣旨(?)の作品がゾロゾロ。おまけに自分で「ラ・フォルクレ」と名付けた曲まであります。こうやってお互いの作風を真似してみせることは一つの流行だったのでしょうか。 それにしても、ライナーノートの背扉に載っているセンペ様の写真の若々しいこと!CDがハルモニア・ムンディから録音・発売されたのが1991年とあるので、今を去ること22年前です。彼の生年月日は企業秘密のようですが、このころ30歳代だとすると多分亭主と同世代か少し上、といったところか。「若き日のセンペ」というタイムカプセルを開いたようなCDでした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2013年05月12日 17時46分57秒
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