2006/10/22(日)05:05
読書ノート 若きウェルテルの悩み/ゲーテ その2
「若きウェルテルの悩み」読書ノート1の続きである。
誰も読まないであろうが、自分のための書き留めである。
たはは・・。
<○が引用>
○ぼくは今は絵が描けないだろう。一筆だって描けないだろう。それでいていまのこの時ほど偉大な画家だったことはかつてないのだ。
ぼくのまわりの愛らしい谷からもやが立ちのぼり、空高い太陽の光線はぼくの森の厚い、つらぬきがたい暗がりの表面にたゆたって、森の奥の神聖な場所までしのびこんでくる光線はほんの幾すじかにすぎない。
そんなときぼくは音たてて流れ落ちる小川のほとりのたけ高い草の中に身を横たえ、大地に近々と顔をよせて、数限りないさまざまな小さな草を珍しげに眺める。
草の茎のあいだに営まれる小さな世界のうごめき、小虫や羽虫などのきわめつくせぬ無数の姿、それをぼくはこれまでになく心に近く感じる。
そして自分の姿にかたどってぼくたちを創造された全能者の現にいますことを感じ、ぼく
たちを永遠の歓喜の中にただよわせ支え続けている慈愛の神の息吹を感じるのだ。
◇◆◆◇
私はこの部分の描写が好きだ。
(ちょっと漱石の「草枕」を思い出すけれど)
ウェッツラールに若き法務官として赴任したてのウェルテル(ゲーテ自身)の、安定し気合のみなぎった心境が自然描写に生き生きと投影されている。ここでの彼は、自然、そして神との完全合一の状態を謳歌していた。
しかし、その満ち足りた一体感は、やがてロッテとの履行不能の愛情によって引きちぎられる。
◇◆◆◇
○人間を幸福にするものが、また人間の不幸の源になるということは、どういうことなのだろうか。
いきいきとした自然にたいするぼくの胸の中のあの豊かな、あたたかな感情は、以前には、じつに多くの歓喜にぼくを満ち溢れさせ、周囲の世界を楽園につくり変えてくれたのに、今ではそれが耐え難い迫害者、苦しめ悩ます悪霊となって、どこまでもぼくにつきまとってくる。
○無限の生命の舞台が、ぼくの目の前で、永遠に口を開いている底なしの墓穴に変わってしまったのだ。いっさいが過ぎていく。万物が電光の速さでころがり去り、そのつかのまの存在のもつ全ての力をまっとうすることもめったになく、変転の奔流の中に巻き込まれ、水底に沈められたり、岩につきあたってくだけてしまうのに、どうしてきみは、「これが存在する」といえるだろうか?
◇◆◆◇
このあたりの煩悶と自問自答は、まるで仏教の説話を読むようだ。
しかしこうした心境の直接的原因となっているロッテとの関係に関しては、本質的な解決などはありえない。これは人間として生きる以上不可避の体験なのだ。
だから人生はダイナミックなのではないか?
こうした自然(神)との歓喜に満ちた合一と離断の繰り返しの波こそが「人生のテーマそのもの」という気がしてくる。
こうした煩悶から、ゲーテは人間に対する洞察を絶え間なく生みだしていく。
◇◆◆◇
○人間というものは、どこでも同じようなものだ。たいていの人間は、ただ生きるだけのために大部分の時間をついやして、自由になる時間がほんの少しでも残っていると、かえって落ち着かなくなって、その自由な時間を振り捨てようとして、あらゆる手段を尽くすのだ。ああこれが人間の宿命というものなのだろう。
○人間の一生は夢にすぎないことは、もう昔から多くの人の心に浮かんだことだが、この思いはぼくにもいつもつきまとっている。
人間の行動力や探求力にはある制限があって、その限界の中に閉じ込められている。
またあらゆるものの活動の目的とするところは種々の欲望を満足させることで、しかもその欲望たるやぼくたちの哀れな生存を引き伸ばそうとする以外の目的は持っていない。そして探求がある点まで達すると満足してしずまってしまうのは、自分が捕らわれている牢獄の四周の壁に、色とりどりの姿かたちや明るい希望を描いて見せることで、夢を見ながらあきらめてしまうにすぎないのだ。
◆◇◇◆
この愛情の桎梏に対しウェルテルは究極ともいえる最終結論を提出する。
まさに圧巻。
◆◇◇◆
○ぼくは先に行きます。ぼくの父のところへ、つまりあなたの父のところへ行きます。
そして父なる神に訴えるつもりです。父は、あなたがくるまで、ぼくを慰めてくれるでしょう。そしてあなたが来るときには、迎えに飛んでいって、あなたを抱いて、そばを離れずに無限の神のみ前で、永遠の抱擁を続けるでしょう。
◆◇◇◆
ここには、当時今よりずっと支配的であったと思われるキリスト教会の教えのステレオタイプが微塵も感じられない。
もちろん、この世の生命という限界性を超えたところに成就させようとする愛のかたちは、それまでの文学にも表現されてきたことだが、理知性の権化でもあるウェルテルがこうした結論に到達したことに、ことさら主体的でそれゆえ普遍的な宗教性を感じ、思わず共鳴してしまうのである。
◆◇◇◆
次回はゲーテの実生活とこの物語を重ねあわせてみよう。
いや、次回はラーメンの「たいらん」を紹介しよう。
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